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165/* 運も実力のうち

この前とある展示会に遊びに行ったのだが、その展示が新聞に紹介されている記事を見つけた。メインで使われている写真は、一緒に行っていた人の割とアップの写真だったから、一層目を引いた。しかしながら、隣に座っていたはずの僕はバッツリ切られていて、同時に「なんでやねん!」が思わずこぼれた。

僕、運がないんですよ。今回の記事なんかは明確な意図を持って写真を選定しているはずなので、何も運だけではないんですけど、なかなか運気に恵まれることがない。

そういえば小学生四年生だかの学芸会で、「走れメロス」をやりましょうとなったときもそうだった。今でこそどっちかといえば出たがりな僕も、小学生自分は驚くほど引っ込み思案で、主役なんてやろうと思うようなタチでもなかった。とはいえ主役に憧れてしまうのが男子の常というもので、勇気を振り絞って手をあげたメロス役は、思った通りの大人気で抽選をすることとなった。

まぁ、土壇場の運に恵まれない僕はあっけなく落選。一度しゃしゃり出た以上は最後まで引けないと、次々と準主役の抽選にも飛び込むが、落選続き。気づけば抽選を必要としない、山賊だかなんだかの役に辿りつていたのであった。

当時の僕からすると、振り絞った勇気を嘲笑われたような気がしてひどくしょぼくれた記憶がある。でもまあ今考えてみると、勇気を振り絞ったのは僕だけでなかったはずだし、その中で役を勝ち取る運を持っていなかった僕が負けたことは事実なのだと受け止められる。

運も実力のうち、とはよくいったものだ。

ショッピングモールで無料抽選会に外れたところでなにも歯がゆくないけれど、自身にとって重大な決断が運によって外されてしまうのはとても惜しいことだ。100%運で決まるものもそうそうないが、100%努力で決まるものもそうない。どれだけ重要な選択肢であったとしても、運要素があり得てしまうのが事実だ。

結局運で決まるなら頑張るのやめちゃおうぜ、というのが運も実力のうち、のいいたいことではない。運がかかってきても後悔しないくらいに、あるいは運を凌駕するくらい惜しみなく実力を磨き続けようぜ、というのが真意である。

実力で運を打ち負かすことは、正攻法ではできないのかもしれないが、それでも運の影を薄くすることくらいはできる。頑張ったけど運が悪かったと行っている時点で、まだ頑張りが足りないんだろうかな、と思うのである。

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