見出し画像

65/* 工場見学

今日は福永紙工という、かみの工作所などをやっている会社の工場見学に行ってきた。前々から、手がけているプロダクトに興味があったり、僕が今紙もののプロダクトを作ろうと考えていたり、わりとぴったりなタイミングでの工場訪問。

すごく貴重だし、面白い工場見学だったから、体験レポでも書こうかと思ったけど、工場内は撮影禁止で、うっかり僕が喋ったことが企業秘密でした!なんてことになると怖いので、さらっと感想だけ。

まず一つ。
福永紙工といえば、空気の器とか、テラダモケイとか、世界でも有名なプロダクトを生み出し続けている。そんなプロダクトを生み出している工場は、さぞ華やかで、ハイテクで、AIなんか入れたりしちゃって、なんかそれっぽい音楽がBGMに流れているんだろう、と勝手に想像していたんだけど、そんなことはない。

もちろん、機械や職人さんの腕は一流だ。でも、工場は昔ながらの決して大きいとは言えない、いかにもな工場で、血の通った、と表現すると伝わりづらいかもしれないけれど、ものづくりの血が通っている現場だな、と感じた。

弘法は筆を選ばず、というけれども、まさにそんな佇まい。あれ以上も、あれ以下もなくて、自分たちの技術や思いを表現するために必要なものだけを集約したら、ああいう風に、無駄なものが削がれていくんだろうな。

もう一つ。
はじまりから、おわりまでをみる視点。工場の入り口を潜ると一番初めに、工場で作られた成果物が展示されていた。曰く、職員に自身の仕事に責任と実感を持って欲しいから、だそうだ。

ある一部分だけの作業を続けていると、全体の大きな流れが見えてこなくなる。木を見て森を見ず、でいると、いろんな効率やクオリティが下がってしまう。確かに、完成物を見て実感を抱くだけでも、随分とモチベーションが違うのかもなあ、と思った。

逆に、こんなものが作りたい、という完成物のイメージがある人は、製作のフェーズを観察するといい。こんなことできるんだ、とか、これ使えそう、とか、アイデアのタネになるものがゴロゴロ転がっているから。僕も今構想中の成果物を頭に思い浮かべながら工場内を歩いていたつもりが、あ、この技術使ってこんなもの作りたい、とか寄り道ばっかりしてしまった。


今日は眠くて、頭も回らないのでここまで。

サポートいただく度に、声をあげて喜びます。