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「親父には敵わんな」という話

唐突だが、僕の親父は職人だ。
もう30年も40年も、ものをつくりつづけて生きている。
新卒で社会に飛び出してまだ2年目の僕には、40年も同じことを続けていくということがどういうことなのか、理解できない。

だから、きいてみた。その備忘録。

「生きる中の一部に創作がある」

職人とはいえ、「昔気質の頑固一徹」ではない。
iPadを使いこなすし、LINEやFACEBOOKにはむしろ積極的な現代親父だ。
そこで早速、LINEしてみた。

難しい質問を投げちゃったな、、と半分反省しつつ送信。
しばらく返事は帰ってこないだろうと思っていると、すぐ返って来た。

質問を投げてから返事が返ってくるまで、ものの10分。
即レスしてくるあたり、そして絵文字を使ってくるあたりが、現代親父感満載。
とはいえ、それらに全部突っ込んでると、話が進まないので置いておいて。

Q3の答えはなんとなく納得できる気がした。僕もものつくりは好きで、それに近い業界に身をおいているから。ずっと考え続けている訳ではないけれど、ふとしたときに「あ!これ使えるかも!」と、アイデアが浮かぶことがある。
ただ、「哲学感」であったり、「心が震えるようなデザインの線」という言葉は僕の肌感からは程遠い。なので、もう少し深掘りしてみることにした。

(今度も即レス。)

正直 、参った。
「生きる中の一部に創作がある」って、少なくとも今の僕には決して言えない言葉だ。何十年も創作に向き合い続けた親父だからこそ、こんな言葉が意図するでもなくでてくるんだろう。

ものを作るって、どういうことなんだろう。とか、
面白いものを作りたいけど、どうやったらできるんだろう。とか、
そんなことで煩悶している僕にとっては、話が大きすぎるというか、なんというか。創作に対するスタートラインが違うなと感じた。
とはいえこのままでは引き下がれないので、もう少し聞いてみることにした。

「創作に生きることで自分を納得できる」

ものつくりが好きな人なら誰しも、
「面白いものをつくりたい」「だれも思いつかないような新しいものを作りたい」という欲望があるだろう。
僕もその一人だ。

ただ、それを実現するのは本当に難しい。
大抵のことは先人が成し遂げているし、僕が思いつくようなことは他の誰かもきっと思いつく。
そんな中で僕がものをつくるためには、ものをつくるための目的や理由が必要で、「なんでものをつくりたいの?」と自問自答を続けては「さっぱり分からん」とさじを投げることを繰り返している。

そんな僕の自問自答の答えが欲しくて、もう一歩踏み込んでみた。

正直、参ったpart2。。
自問自答の答えを人に求めていた自分が甘かったことを痛感。
「創作に生きることで自分を納得できる」というのは親父ならではの一つの解であり、ものをつくる理由だ。僕には到底流用できない。

現代親父などと言っているけれど、やはり親父は職人だ。
頑固だし、不器用だ。
でも、そんなことはとっくのとうに親父は理解していて、そんな自分が世の中の中で生きていくためには、創作を続けるしかないと思っているのかもしれない。(真意は分からないけど、、)

まとめ

ぼくのものつくりに対する信念は、親父ほど切迫していない。ものをつくらなければ死んでしまう、と言うほどものつくりに固執していない。
それが良いことか、悪いことかは分からない。
けれど、親父のように自分と社会とを繋げる架け橋として「ものつくり」を続けていけるといいな、とは思った。

現代はSNSや、こうしたブログなど、個人と社会とを繋げてくれるツールがたくさんある。
けれどそれはあくまでツールに過ぎなくて、大切なことはもっと個人の内側にあるんじゃないかな。

ミュージシャンも芸術家も、会社員も学生も、根っこのところは変わらなくて、社会との繋がり方が違うだけ。ならば僕も、僕なりの繋がり方を模索していけばいいや、と感じた。

なにはともあれ、「親父には敵わんな」と思うけど。

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