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男性アイドル応援論、卒業できない男たち

 2016年、国民的男性アイドルグループは空中分解した。誰がどう見てもうまく解散できなかった。2018年、人気アイドルグループから主要メンバーが脱退。同年、2人組アイドルグループが解散済みであることが報道され、それらのニュースをかき消すかのように、更なる国民的グループの活動休止宣言がなされた。これら以外にも広げると枚挙にいとまがないが、ここ数年、アイドルファンの心を抉るような事象が多発してきた。

 これらは一見して、事務所内抗争やメンバー個人の価値観の違いにあるように見える。勿論、個々の事象を見ればそれらの要素も関わり合いがあるのだが、根本の部分で、全ての事件に共通するのは、どこまでも根深い、アイドル本人たちが抱えた「アイドルの永続性への絶望感」ではないかと思っている。
今の、少なくとも数年前時点での日本の男性アイドル界には「やめる」というシステムが存在しない。男性アイドルになってしまった以上、彼らは「俺たち一生アイドル」という永遠の輪廻、卒業制度のないパラレルワールドに取り込まれてしまうことに他ならない。その世界から飛び出そうと、日本男性アイドルの先駆者たちがもがき足掻いた結果が、2016年であり2018年だったのではないかと、当時を振り返った今、感じている。

 彼らが一体どういう経緯でパラレルワールドを脱しようと思ったのかを考える前に、1つ、オタクの妄想をしてみようと思う。
1人の昭和の少年の人生をイメージする。彼はまだ中学1年生になったばかりで、地元の中学の制服を着ることにもワクワクしているが、小学校と同じ友達がそのまま中学でも一緒だから、あまり変わり映えがしないななんて思っている。友達は新しく習い事や部活を始めるみたいだが、同じことをやるのもなんだか違う気がする。もうちょっと新しいことをやってみたい。オカンとは仲がいい。オカンはテレビの中で踊るアイドルが好きで、ある日出かけようなんて言われて急に受けさせられたオーディションで訳もわからず喋ったら、合格したようだ。オカンが好きな、テレビの中で踊ったり歌ったりするアイドルになる?よくわからない。オカンが喜んでいる。よくわからないけど、やってみてもいいかも。学校で友達に言ったらびっくりされた。女子に急に話しかけられた。みんな羨ましがっている。それは、俺も気持ちいい。オカンも喜んでいる。事務所に行ったらテレビで見たことのあるアイドルがいた。話しかけてきてびっくりする。これからこの人の後輩になるんだ。有名人になったみたいでドキドキする。レッスンが終わって家に帰る電車の中は、誰も俺に見向きもしない。電車に一人で乗ることだけでも、大人になった気分になる。家に帰るとオカンがカレーを作って待っている。食べながらオカンに「今日オカンの好きなあの人に会ったよ」と報告してみる。凄く驚かれて、そのあと羨ましがられるかと思ったら「オカンはあんたのファンだからね!」と言われた。ちょっと嬉しいけど、照れ臭いから口には出さない。

  冗長な妄想は終わりにするが、「10代の若さと夢と希望に満ち溢れた状態で目指すアイドルは、きっと輝かしい未来だったことだろう」なんて他人事の言葉よりも、こういう妄想の方がずっとリアリティがあるはずだ。
勿論これはただのオタクの妄想でフィクションだ。リアルは違う。特に昨今の社会状況も変貌を見せているから、もっとビジネスライクな子もいるだろうし、「絶対アイドルになる!」という自発的意思を強く持ってアイドルを目指す子は当時からもいただろう。家庭の事情もあるかもしれない。
でも、例えば、何となく目の前に出てきた道を選んだ。例えば、選んだ道を歩くには目の前のことを一生懸命こなす必要があった。例えば、上手くできたことを褒められた。例えば、そういう「例えば」が彼らをアイドルにしてきた。そういう「例えば」を想像しないことで、失われるものは、アイドル自身が1人の感情を持った人間であるという事実だ。
アイドル自身が語ることのできないアイドル自身の葛藤・アイドルの人間性にたどり着く模索をしないことは「アイドル・芸能人なんだから仕方ないだろう」「仕事でやってるんだから仕方ないだろう」という良くある世間の論理を振りかざしてみただけで終わってしまうのではないかと思う。

 親や、事務所の先輩、大人、大人、たくさんの大人。
自分の身近な人に褒められる子供の根源的な喜びや、一つ一つできることが増えていく成長の喜び、同じ志を持って集った同年代の友人と過ごす時間の喜び。
アイドルの卵という未成年は、自分たちが接する数多くの社会の大人たちに、どう振る舞えばどう受け入れられるのか・喜んでもらえるのかを、頭で理解せずとも肌身で感じとってきただろう。そしてまだ彼らにとって「アイドル=仕事」ではなかっただろう。周りの環境とほんの少しの自分の意思が、いつのまにか「アイドルらしい自分」を作り上げていく。そんな1人の少年の人生を想像することはできないだろうか。

そして、12才の少年が15才、19才になり、20才になり、25才になり、アラサーになり、30才になり、34才、アラフォーになり、36才、39才、40才、41、42、43、44、45才になる。
それは最早成長の「過程」ではなく、1人の男の人生そのものだ。いつしかアイドル=仕事になり、「仕事でやってるんだから仕方ないだろう」の論理が分かる大人になっている。論理が分かる頃には、アイドルとして生きていくことが当たり前になっており、事務所の影響力も分かっている。自分が「アイドルやめます」発言をすることがどんなに金・企業・社会・ファンに影響力を持つかを知ってしまう。
おじさんになってもちやほやしてくれるファンがいる反面、迫り来る若手や、異業界で活躍する人間を見て、自分のアイデンティティがぐらつく。バラエティや舞台や映画、自分がどんなことをして社会や芸能界を生き延びていかなければならないかに直面する。そうして彼らは歳をとって初めて「俺たちはアイドルでしかなく、俺たちは一生アイドルだ」という当たり前で淋しい事実を、絶望感と共に知るのだ。

勿論、閉塞感を持ち合わせていないアイドルもいると思う。が、ここ数年の事象における各人の「やめます」発言を深読みするに、こんな感情があったとしても何らおかしくはない。すべてが想像だが、有名になればなるほど、そして大人になった現時点で芸能界での活躍を望んではいないアイドルほど顕著に考えることもあるのではないか。
俺たち一生アイドル、ではないんだよ。
そう言いきることは、卒業制度のない男性アイドル界の中でどれほどの苦悩があっただろう。アイドルを辞めた彼らと辞めなかった彼らの目指すところは何なのだろう。
彼らの自己実現の話は、できれば楽しく語り合う相手が欲しいところだが、アイドル自身が語ることのできない、アイドルであることの葛藤を、想像し、少しでも的外れじゃない理解に近づくことができたら、こんなに嬉しいことはない。

ありがとうございます。これから筋トレ頑張れます。