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男性アイドル応援論、私の場合

男性アイドルが好きだ。
顔が好きだ、イケメンが好きだ、アイドルという概念が大好きだ。
気が付けばそこにアイドルがいたから、息をするように好きになり、気が付けばいつの時代も、男性アイドルと一緒に長い時間を生きてきた。

中学に入った頃からお茶の間ファンとしてテレビ番組を見出して、親とコンサートに行き、雑誌やブロマイドを集めた。彼らがテレビに出ていることは当たり前だったし、私の日常生活のそこかしこに彼らはいた。友達との共通言語も大体アイドルに関する話ばかり、「イケメンか」のみで友人と話が通じるくらい語彙力は貧弱だったが、パッションの瞬間風速はとんでもない熱量だったと思う。自分の好きなアイドルの最新動向を仕入れ、さも彼が自分の彼氏であるか、もしくは自分が彼の親戚のおばちゃんになったかのような口調で「いかに●●の雑誌の写りがイケメンであるか」「彼は今後このような仕事を受けるべきである」などと語り合うのが日常だった。好きになる男性アイドルは、私の成長と好みの変化と共に次第に移り変わったが、私の心変わりなど露ほども知らず、乗り換えられた彼らと今時点で一押しの彼は、どちらもキラキラといつまでも「アイドル」をやっていた。

彼らがなぜアイドルをやっているのか?
申し訳ないことに、そんなことを真剣に考えたことは一切なかった。「今ここにいる私」が狂おしいほどあなたを好き、好き好き大好き、それだけで頭の中は爆発寸前だった。アイドルになった理由を知りたいと思えば、彼らの親や姉や親戚が事務所に履歴書を送ったり送らなかったり、誰誰に憧れてうんちゃらかんちゃら、アイドル雑誌に良く書いてある一つの「応募動機」だけで十分だった。
良く良く考えれば、というより、普通に考えれば、彼らが最初からアイドルである訳ではない。アイドルである前、彼らは平等に庶民であった。中学でイケメンだと騒がれた「やっぱりあの子が」タイプの天才少年や、山奥の田舎から出てきた「まさかあの子が」タイプの純粋培養少年だったはずだった。どちらも最初からアイドルではないのだが、一度テレビに露出されアイドルとして紹介されてしまった時点で、私は・私たちは、彼らをアイドルだと認識してしまっていたように思う。そして、そんな幼い彼らを応援することを選び、彼らの成長を見られることに喜びを感じた。

 私は、不確定で少し筆舌に尽くしがたい「アイドル」という概念が好きで、アイドルによって見せつけられる手の届かない未来のキラキラや、それによって感じる自分の感情の高ぶりや幸福感、そしてアイドルというコンテンツを媒介とした私の周りのリアルな人間関係が好きだった。

だから私は、誤解を恐れずに言うとすれば、今まで彼らを人間だと思ったことがなかったのだと思う。
一人の人間ではなく、全く違う世界の生き物なのだと無意識で思い込もうとして、それに成功していた一消費者のトランス状態だったのかもしれない。それはそれで、大多数のアイドルファンの最大公約数だろう。
間違っているとは思わないし、自分の過去を否定したくもないが、アイドルという職業が消費者に与えた副作用に、大人になった今の私は、彼らに対して大きな申し訳無さを感じている。
その申し訳なさをもって、今一度、彼らのことをきちんと考えたい。独りよがりの勝手な申し訳なさが、彼らには全く必要されてはいないのは承知していても、一消費者としてのリテラシーを取り戻すために向き合いたい。

 彼らにも大きな波が来ている。内側から、外側から。昭和と平成をまたいできて、これから令和をも超えていかねばならない男性アイドルは、これからどこへ行くのか、気になるし心配だ。これからも彼らと一緒に生きていきたい人が沢山いるはずなのだから、どうやったら一緒に生きていけるか、一緒に考えるくらい、心配してみるくらい、誰かが馬鹿みたいにやってみてもいいはずだ、と思うのです。


ありがとうございます。これから筋トレ頑張れます。