嫌いな言葉の話#1 「人それぞれ」
言葉を大事にできずして、自分の心を大事にできるものか。
自分の心を大事にできずして、他人の心も大事にできるものか。
本稿では今までの記事とは違った観点から書き綴っていく。
加えて、今後も同様のテーマで別のワードを上げるかもしれないと思い、番号を通すことにした。
「嫌いな言葉」と一括りにしてしまっているが、実際には様々な理由や経緯があって。すぐに思いつくのはとりあえず以下の3パターンだろうか。
1. 言葉そのものに悪意が宿っている
(ex.暴言・差別用語全般)
2. 言葉の使われ方や捉え方によって悪意が宿る、もしくは感じる
(ex.皮肉系/煽り系etc)
3. 元々悪意はなく宿りもしない筈が、個人の感性によって琴線に触れる
(ex."品性がない""表現が陳腐"など言葉への文句を挙げればきりがない)
そういう意味では、表題に挙げた「人それぞれ」は前述の②がしばしば発生しがちなタイプ。議論や話し合いを強制終了するために『まぁ結局は人それぞれだよね』とか言われたり、こちらの意見を封殺しようと『でもそれって人それぞれでしょ』とか言われたり、論破されたのに逃げで『要するに人それぞれか』とか言われたり。
本来であれば自分自身に対して使うというか、心の中で唱えることによって、他人及びその考え方や意見を"多様性の一環"として認めて……。一度冷静になった状態で、その後再び建設的な話し合いができたり、関係構築ができる筈、なのだけれど。
けれどもし、仮にその言葉の矛先を他人に向けて放ってしまえば、上に挙げた様な結果を招いてしまいかねない。
そこにあるのは、具体的には思考停止(思考放棄)、無意見・無頓着・無理解への誤魔化し、価値観や考え方などの強要あるいは否定。
自分のための言葉と他人のための言葉は往々にして違うんだ、ということを、一体どれだけの人が理解しているだろうか。
……いや、私だって(ここまで書いておきながら)大分甘々だ。言葉についてまだまだ知らない事はたくさん、たくさんある。
そして何よりも一番嫌いなのは、
そうした"それぞれ論"そのものに対して「だから、それも人それぞれでしょ」と言われることである。
#雑記 #独り言 #言葉 #人それぞれ