私は私以外の生き方を知らないという話

自分のことは自分が一番よく知っているはずなのに、”自分探し”なんて。

ちょうど1年くらい前、気持ちが果てしなく沈んでいた時期がある。
それは今までの人生の中でも結構なスランプで、人付き合いのほとんどをシャットアウトしていた。
(日本にサイレント帰国したと周囲に思われていたのは、また別の話だ)
その後、年末になってようやく落ち着き始めたのだが、その際に「獣になれない話」とかいう駄文を書いた。
それこそ最初は、何もかも全て吐き出して楽になりたい……と思いながら記事を書き始めたのだが、
結局自分自身の感情や思考を上手くまとめることはできなかった。故にそいつは駄文だ。

私は周囲の人から「優しい」とか「紳士だ」とか「思いやりがある」とか言われることがある。
要するに「いい人」認定されることが多い。気がする。
ただ、この「いい人」というのが、私の中で引っかかる。どうにも違和感を感じてしまう。
ある時から感じたこの奇妙な感覚は、次第に膨れ上がっていって、いつしか嫌悪感になった。
気がつけば、この「いい人」という言葉が(恐らく周囲の皆様は善意で言ってくれているとは思うのだけれど)自分の中ではNGワードになってしまった。

確かに、私は人前ではよく「いい人」として振舞っているかもしれない。
でもそれは、例えば、
自信の無さを隠すかのように。
存在意義を確かめるかのように。
乾いた心を潤すかのように。
そのために、私は私の周囲の誰かのために何かを施す事が多くて。
時には自分自身の意思や希望に反したり、あえて損をするような選択をしたり。

もちろん世の中には、誰かに頼まれた訳ではなくても、見返りも求めずに世のため人のために尽くせる人間というのも存在するかもしれない。
ただ少なくとも私は、そこまで徳の高い人間ではなかった。 
『要するに、勝手に消耗して勝手に自滅しただけじゃないか』と、そう思われるかもしれない。
そう。そんな事にも気づかずに突き進んで、そのまますっ転んでしまったというのが事の顛末だった。

それでも私は、私以外の生き方を知らない。
どんな生き方を選ぶにせよ、信念や覚悟無しに突き抜けないのなら、中途半端じゃ振り切れないのなら。
思う存分突き進んでみる。もう一度。

#雑記 #独り言 #自己分析

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