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心の鍵盤を調律していく話

同じ音色、同じ曲調でなくて当たり前。
大事なのは弾き続けること、引き続けられること。

今年もテト期間を利用して一時帰国をした。
私の地元である北海道へは直行便が無いので、いつも何処かの空港を経由して、帰省する予定を立てなくてはならない。
一昨年は東京経由。当時はまだ駐在員で、確か滞在期間のおよそ半分位を本社での仕事に充てていたと思う。
昨年も東京経由。元ハノイ在住者にも声をかけ、浅草の一角にある下町の銭湯に入ったり、20名近い面々での飲み会があった。
そして今回、なんと関西経由。しかも関空/神戸という少々変則的な計画を立てた。

この話をすると大体「いやいや、どうしてそんな旅程なの?」とツッコまれた。
確かに、純粋な乗り継ぎなら同じ関空ないし伊丹を選ぶのが普通だろう。
それでもあえてそんな旅程を選んだのは、相応の目的や理由があるからで。
今までとは違う√を試したかったとか、Airdo(北海道のLCC)の唯一の関西方面が神戸空港便だったとか、兵庫に行ったことが無いのでせっかくだし観光したいとか、"明珍火箸風鈴"を買いたいとか、色々あるのだけれど。でも最大の理由は、元ハノイ在住の友人と神戸での再会を約束していたからだった。

彼女、葛岡さん(仮名)は私と同年代の女性。共通の友人も多かったので、意図せずして会う場面も時々あった。
初めて会ったのは、ハノイ1年目の春頃。
確か、当時の職場近くにあった美味しい中華に友人を誘った時だ。「同じ大学の友達がいるから、その子も誘いたい」といって紹介してくれた。
その日は不運にも、彼女が乗車していたタクシーの運転手が地図に弱いタイプの人で、到着が大幅に遅れてしまった。
やっとの思いで店に到着し、開口一番に「もうほんまにお腹空いたわぁ、今お皿の上にあるやつ全部食べていい?」と話したのを、今でも覚えている。

およそ2年近く、彼女とはハノイのどこかで会っていたと思う。
ただその割には私はまだまだ彼女の多くの事を知らない。
それこそ、まだ知り合ったばかりの頃なんて「色にまつわる素敵な名前を持っているのに、どうして黒系の私服が多いのだろう」なんて考えていた。「今度会った時にでも聞いてみよう」と思っていた筈なのだが、毎回聞き忘れてしまって、いつしかその事自体も忘れてしまっていた。

「神戸の何処に行きたい?何食べたい?」と予め聞いてくれた彼女に、「中華街!」と答えた結果、元町駅前で仕事終わりの彼女と待ち合わせてから、一緒に南京町へ向かうことになった。
「多分な、地元の人はあんまり来ないんよ。普通に三宮とか行っちゃうと思うわぁ」と、簡単に説明しながら案内してくれた。
初めての中華街。ちょうど春節の催事の最中だった中央広場を除いて、比較的空いていた。
少し遅めの時間帯だったからかもしれない。催事が終わってからはより寂しい感じがした。
屋台でごま団子や豚まんを買う。出来たての熱々をお互い慎重に食べながら、広場沿いの店に入った。
席についてすぐに、予め持ってきていたお土産を渡す。彼女にはお茶の葉をプレゼントした。茶筒自体がシナモンの原木を削って作られており、より一層香りが引き立つとか何とか、土産屋で紹介された通りに説明した。

まるで喫茶店に長居でもしたかのように、色々な話をした。
彼女は人の話を引き出すのが得意で、つい何でも話してしまう。
実家の話とか、仕事の話とか、将来設計がどうとか、最近の恋愛事情についてとか。
そんな、彼女との会話の中で、深く心に刺さったことがある。
曰く、「ハノイに住んでいた頃の楽しさが、人との繋がりが、今でも忘れられない。だからこそ、日本に帰った今はハノイの友達といつまでも同じ関係のままでいられなかったりするのが寂しい」と。

人と人とが親しくなるのには、一緒にいる機会が多いとか、距離が近いとか、温度が近いとか、その他にももっと、もっとたくさんの要素やきっかけがあって。
でもその一方で、仕事や生活、趣味、環境……様々な変化に対応するために、自分自身のあり方や考え方を、その都度、徐々に調律し続けなければいけなくて。

同じ人といつまでも同じ関係でいられないのは、
皆誰しも、少しずつ生き方の調律を変えているからかもしれない。
同じ人といつまでも同じ関係でいられるなら、
お互いに、少しずつ生き方の調律を合わせているのかもしれない。

願わくば、葛岡さんとの関係もいつまでも続いていきますように。

#記憶の記録 #海外生活 #ベトナム #ハノイ #一時帰国

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