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あの頃テレビが全てだったという話

これからする話は、もうかれこれ20年近く前……私がまだ中学生だった頃になる。

当時住んでいた家の近く、歩いて10分以内の所に新しいラーメン屋ができた。そこはバス通りに面していて、向かいには比較的大きなスーパーがあった。私の記憶が正しければ、そこのテナントには前にも別の飲食店が入っていたはずで、恐らくは居抜きで開店したのだと思う。
とある平日、仕事から帰ってきた母が「今日は疲れたから、どこか近所へ食べに行こう」と言い出した。ならばと私は最近できた例のラーメン屋を提案し、早速行くことになった。

夕立あがりの夜7時前。私達の他に客はいなかった。店内入って左の道路側にテーブル席がいくつか、通路を挟んで反対がカウンター席で、その奥には厨房があり、一部はガラス張りだ。厨房の出入り口の手前にはレジ台があり、その天井にはテレビ(当時はまだブラウン管)が取り付けられていた。
とりあえず手近なテーブル席に着いて、メニューを開いた。成長期の真っ只中にいた私は塩ラーメン大盛と半チャーハンのセット、母も味噌ラーメンと半チャーハンのセットか何かを頼んでいた。

他に客がいなかったこともあってか、注文してから出来上がるまでは比較的スムーズだったと思う。だがしかし、そんな時間感覚さえも吹き飛ばす様な光景から、この時の私は目を離すことができなかった。

夜7時台のゴールデンタイム。店内のテレビはちょうどグルメ番組を流していた。しかも、その日はテーマはよりにもよって(?)行列のできるラーメン屋特集だったのだ。
各地方都市毎に取材班が駅前の通行人やタクシーの運転手に声をかけていく。地元の人々が口を揃えて名前を挙げる程の名店なのかと盛りたて、いざ現地に直行すれば話に聞いていた通りの混雑。スタッフの一人がいざ並んで数十分……場合によっては一時間以上が経過してからようやく店内に入り、カウンター席に着いて看板メニューを注文する……。

そんなテレビ番組を、私達が今いる店の女性(以下、おかみさんとする)も見ていた。位置的にもちょうど私が座っている場所からよく見えるのだが、それはもう直立不動で、ひたすら熱心に見入っていたのだ。
しばらくすると、今度は奥の厨房にいた男性(以下、おやっさんとする)が厨房の手前まで完成したラーメンとチャーハンを持ってくる。……が、おかみさんがそれに気付かない。いや、気付けないのだ。彼女は今画面の向こうの名店に夢中である。
一方で、そんなおかみさんに対して少し大きい声を出すおやっさん。おかみさんは一瞬ビクッとなって、状況を把握してからテキパキと私達の卓へ運んでくれた。
……が、運び終わるや否や自動的に先程の定位置へと戻るおかみさん。
さすがに中学生の私でも分かる。そう……彼女は真剣なのだ。何を売りにしているのか、自分達の店との違いは何か、そこに盗める秘訣はないのか、とにかく必死なのである!

そこまで真剣に(画面に)向き合っている人に、どうして水を指すような事ができようか。私は少々塩味が効きすぎて口当たりが強い目の前のラーメンを消化するべく、カウンター席を離れて店内を軽く見渡し、氷水の入ったピッチャーを見つける。あそこだ、おかみさんの立ち位置の脇の小さい棚。私は精一杯ゆっくり、かつ静かにピッチャーへと近づき、それを手に取って席に戻った。どうやら気付かれることはなかったようだ。

食べ終わって一息つくと共にお会計を済ませようとするのだが、"全て分かっている"私は母の動きを静止、テレビ番組がCMに入るその瞬間におかみさんを呼んだ。1分弱のCMタイムを制しての退店、完全に作戦勝ち(何が?)である。

帰り道、私は母に一通りの事情を説明した。
店内のテレビでラーメン特集が流れていたこと。
店のおかみさんがそれに夢中だったこと。
私の頼んだ塩ラーメンは今ひとつだったこと。
そして、
店員がラーメン番組に釘付けになるラーメン屋に、先はないだろうということ。

予想は的中した。
それから3ヶ月後、そこにもう店はなかった。

#雑記 #実体験 #2000字のドラマ

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