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【”頭がいい”から自由になった学び】

“頭がいい”という言葉の由来について
考えていました。

というのも、英語では
Good brainみたいな表現を
聞いたことがありません。

翻訳機能を使い、
様々な言語を調べてみましたが
“頭”という表現をしているものは
見つかりませんでした。

日本で
“頭のいい”や
“頭の悪い”という言葉は
どのような背景から
生まれて来たのでしょうか。

ところで、
日本で一番”頭がいい”大学と聞いたら、
どの大学を思い浮かべますか?

“頭がいい”と言われる大学に通った人が
“頭がいい人”の問題についてこう話しました。

————

心と精神と論理が乖離している

“頭がいい”人は論理に引っ張られてしまって本当にやりたいことがわかりにくい。

本来は、論理と言うものは何かを支える土台である。例えば自分がやりたいことするための道具として論理を使うべき。しかし、論理自体が第一になってしまい、例えば「何々が正義だから」ということで、自分の心とか精神とは別として、「それをやらなければならない」となってしまう人が多い。

そういう人は何か論理っぽいこと言ってるけれども、じゃぁ本当は何がやりたいのか?はよくわからない人が多い。この場合、自分が心からやりたいこととか、自分が進んでやりたいことではない場合も多いので、やってる人自身がストレスを溜めてしまう。

*心は自分がやりたいと思えるか
*精神は自分そのもの
*論理は何かを支えとなる根拠

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「心と精神と論理が乖離しているという状態」

難しいですが、
なんとなく感じられるものがあります。

大人になってからの悩みに
「自分のやりたいことがわからない」
が上位を占めると聞きます。

アンスクーリングでは
好奇心に基づき学んでいきます。

知りたいから学び
やりたいから挑戦します。

心と精神がつながっている状態
といえるかもしれません。

アンスクーリングでは
“頭を良くする”は
学びの目的ではありません。

心と精神がつながっていれば
人は自分がしたいことを実現する方法を
無意識のうちに、時には意識的に
論理立てられるのではないでしょうか?

心、精神、そして論理が繋がる学び
それがアンスクーリングです。


「誰もが自分の経験、知恵、学びをシェアできる世の中に。」というビジョンを持って、学びの場を作りをする資金に使わせていただきます!