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【選択肢から自由になった学び】

「勉強を頑張れば選択肢が増える」と聞いたことがあるでしょうか。これは本当だと思いますか?

ここでいう選択肢とは何を指しているでしょう。職業でしょうか?合格できる学校の数でしょうか?仮に合格できる学校の数が増えるとしましょう。偏差値40の人と60の人では、合格できる学校の数は違います。しかし、偏差値60の人が偏差値40あたりの学校を受験することはまずありません。大体60前後の学校を受験することが多いと思います。つまり、選択肢が増えているのではなく、選択するものが変わっているだけです。

偏差値が70以上の人が大学にいかずに別のことをしたという選択肢を聞いたことがあるでしょうか?ほぼ大学に行きますよね。そして、同じ大学でもなるべく偏差値の高いところに行くようになります。これはなぜでしょう?選択肢が増えたからでしょうか?

仮に勉強を頑張れば職業の選択肢が増えるとしましょう。これも本当でしょうか?医者などの資格が必要なものは資格取得のための勉強が必要となります。本人が医者になりたいと思っているなら、それは選択肢を増やしていると言えるかもしれません。しかし、そういった具体的なものがないとすれば、テクノロジー等で仕事がどんどんと変わる中、勉強を頑張るとどういう選択肢が増えるのでしょうか?大学の進学率は50%を超えています。大卒はもう珍しくはありません。

アンスクーリングでは、学校に行くこと自体が選択肢の一つにすぎません。行きたければ行きたいところに行きます。そもそもテストもないので偏差値で学校を選ぶことはせず、もし行きたい学校があり、それに入学試験があるのなら、そのために受験対策をします。

アンスクーリングでは、学び続けることを大切にしています。日々自分が学びたいと思ったことを実現できる環境を自ら見つけることの繰り返しをしています。選択肢が用意されていないということは、「何を選択肢として考えるのか」からスタートします。

選択肢は「AかBか」のようにきれいに二股に分かれているようなものでもなく、多面的にあります。まるでジャングルジムのよう登ったり、降りたり、くぐったりです。大人から見ると遠回りに見えることも、学ぶ本人はそこから世の中の目に見えない多面性を学んでいます。

世の中には表と裏があると言います。裏というのは反社会的な意味ではなく、表向きの「べき論」と異なり、実は社会はこうなっているという話です。こういう話はたくさんあります。アンスクーリングは暮らしの全てから学ぶという理由はそこにもあります。裏も表も全てが学ぶ対象です。日常的に自ら選択する機会があることで、いざ大きめの選択をする時に、ここはこうした方が良さそうだと気付きやすくなります。

暮らしの全てから主体的に学ぶことで、選択肢を見出す力を身に付け、自分が行きたい方へ向かう可能性を増やす。それがアンスクーリングです。

「誰もが自分の経験、知恵、学びをシェアできる世の中に。」というビジョンを持って、学びの場を作りをする資金に使わせていただきます!