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おじいちゃんとお寺の話

おじいちゃんのお葬式が終わりました。

私のおじいちゃんは兵庫県丹波市のお寺の住職でした。
隠居後、私の大学進学とそれに伴った実家の引っ越しにより岐阜県にセカンドハウスを設け、約1年、おじいちゃんとおばあちゃんと私たち家族は一緒に生活をしていました。

おじいちゃんの生涯はずっとお寺を守るために丹波で過ごしてきたため、あまり遠出や旅先での長期滞在はありませんでした。
そのせいもあってか、岐阜県を思いっきり気に入り何度も「ここに来れてよかった」「ここを選んでよかった」「一緒に過ごせて嬉しい」と言い続けてくれました。
また、顔がさすからという職業的な理由でなかなかできなかった大好きな温泉にゆっくりつかること、お寺抜きで人と関わること、もともと興味があった日本史(特に明智光秀)の聖地巡礼や資料採集・研究なんかも思いっきり楽しんでくれました。あ、あとBTSのMVに狂う私のダンスにも付き合ってくれたり(笑)

この1年間で増えた思い出。
この1年間で交わした言葉。
この1年間で触れた人間性。

言葉にしきれないほどそれはかけがえのない時間で、私にとっては本当にステキな体験でした。きっとおじいちゃんも心からそう思ってくれている、はず。

しかし、おじいちゃんはどうしても兵庫県に帰らないといけませんでした。

理由はもちろん、お寺の元住職だから。

おじいちゃんのお寺の本堂は一度火事で全焼したことがあります。
そのときの全責任を自ら背負った住職は、
本堂再建のため休む暇なく奔走したのは、
誰でもないおじいちゃん本人。
生まれも育ちも丹波で、そしてそこ故郷にあるお寺に人生と愛情を惜しみなく注いだおじいちゃんは、丹波のお寺で眠るべきだと考えられました。

そして始まった、from GIFU to TAMBA おじいちゃん搬送大作戦。

結論から言うと、この作戦は失敗に終わります。
搬送予定日の4月5日の前日、
4月4日朝、
おじいちゃんはおばあちゃんと私と私の母に看取られながら岐阜県の自宅で息を引き取りました。

桜を車窓から見ながら帰ろうというおばあちゃんと言っていたことは実現せず、黒いネクタイをした運転手の方が手際良くドライアイスをおじいちゃんの遺体に乗せ、顔には白い布を被せてもらって、4日夜、月明かりに照らされた満開の桜の下を遺体搬送車が走りました。

切なくて、でもそれ以上に有難くて、なんとも言えない感情に包まれながら私たちは丹波に向かいました。

丹波に着いたのは深夜、お寺の座敷に運ばれたおじいちゃんは(こんな表現しかできないのが可笑しいけど)その瞬間から住職の役に帰りました。

おじいちゃんじゃなくて、お上人さん。
私はおじいちゃんの孫だけど、お寺から嫁に出た母の子ども、外孫、仏教徒でもなければ寺関係者でもない人間。

おじいちゃんと、
確かに岐阜で一緒に大切な時間を共有した私たち。
一生懸命おじいちゃんのお世話をしていたおばあちゃん、母。
そのお手伝いを下手くそながらも初めて挑戦してみた私。

その時間を私たちはどのように過ごしたのか、その中でどんな思いが生まれ、何が築かれたのか…。
眠るように静かに最後の息をしたこと、それでもしばらくはまだ暖かく柔らかかったこと…。
おばあちゃんは私ごときでは計り知れない何かを感じていたような目でじっとおじいちゃんを見つめていたこと…。

お寺に踏み入れた瞬間、そんなことはどうでもよく、重要ではなかったのです。

身内が亡くなることも、ひとりの人間が段々弱っていくのを最後まで見届けるのも私にとっては初体験ばかりだったので、不思議な気持ちでしかなかった私にはついていけない事実でした。

現住職は私の叔父であり、おじいちゃんの息子にあたります。自分のお寺でお葬式をすること自体、親族でありながら運営側という、悲しみに向き合う時間すらなく様々な準備をしないといけない複雑で多忙な立場です。
だからこそ余計に過去ではなくお葬式までの未来にフォーカスを当て精一杯役職を全うされていました。
おばあちゃんもしっかりスイッチを切り替えていて、その姿はとても力強い印象を受けました。

この長い歴史のあるお寺のほんの一部の期間を務めたおじいちゃんが仏様になる。その手助けとして私たちはお経を読む、役職を全うする、そしてそれがまた次の世代へ繋がる。
なんというか、宗教という概念を少しだけ体感できた気がしました。

お葬式後、叔父にこんなことを言われました。
「お寺の人間はもとより公共財」

正直ものすごく切なかったし、「私のおじいちゃん」と過ごした時間が全否定され崩れてしまいそうな感覚になってしまいました。
役職以前にひとりの人間だったことを主張したい。
でも、そんなことは問題ではなかった。
私の大人になりきれてない部分が未だに少し疑問を残してしまいますが、それが事実おじいちゃんのお寺でした。このときなんとなく、全てがわかった気がしました。

いや何がわかってん!
上手に言えません!
この文章だけでは伝えられている気がしません!
この文脈だけでは共感してもらえる気がしません!
(全力の叫び:ダメじゃんんん!!!!!)

仕方ないことですが受け取り方は人それぞれということで、とにかく私には全てがなんか分かりました。

葬儀が一通り終わって、今は岐阜県に帰る車の中。
なんとなくかけたBGMがまた感動的で、もしおじいちゃんの一生という映画があればエンドロールの裏で流したい歌すぎて鳥肌ものでした。
「いのちの記憶」ジブリのかぐや姫の物語の主題歌です。

ー今のすべては過去のすべてー
ー今のすべては未来の希望ー

ほんとにおじいちゃんったらその通りでした。
おじいちゃんが残した「今」を私たちはどうするか。
未来の希望を信じて今を変えられるか。

超臭いこと言ってる気がしますが、でも本当に
考えさせられに考えさせられた春休みの最後でした。

以上、桜の季節の思い出と
不思議な気持ちの言語化備忘録でした❕

うわあ!何言ってんださっきから俺!!
むずがゆいわなんか!!!!!!!!!
センシティブな文章書いちゃって泣かすなよ!!!
(ほぼ自分発自分着=自爆)

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