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「毒親」の正体は、1人の不器用な人間であった

書籍 『  「毒親」 の正体 』 を読んだ気づきとまとめ

・家族に対する違和感がある人へ

私は4年前に実家を出て、1人暮らしをしている。
26歳になり、周囲の人とのコミュニケーションを通して1人の人間としての振る舞いが段々とわかってきたかな。と思っている。

そんな中、久しぶりに長期間実家に帰省した際、奇妙な人間関係に違和感や嫌悪感を感じた。26年生きてきて初めて家族にそんなことを感じた。5日くらい滞在しており、終盤には胃が痛くなってきて、こんなに長居するんじゃなかった。と後悔した。
この違和感は何なのか、いろいろ調べていた際に、水島広子著書 『「毒親」の正体 』 という書籍に出会った。今回は、自分の考えの整理も兼ね、この本についての感想や私の体験を書き残したい。
親や、祖父母との関係に悩んでいる人たちにとって、少しでも共感や、参考になれば幸いだ。

・歪な家族


前提として、私の家族関係はほぼ崩壊している。
父親、母親、私、妹の4人家族であるが、今思うと、まともなコミュニケーションはほぼ取れていない。同居するペットだけが唯一の家族の繋がりといっても過言ではない。もちろん、衣食住の支援はしっかりしてくれていたし、私を私立の大学に行かせてくれたり、金銭の支援も十分にしてくれていたので、その面では感謝はしている。
また、父親は職場ではそれなりの地位を築いており、定年まで勤め上げている。それなりの一軒家も住めているので、側から見たら良い家庭に見えると思う。

父親とは、会話はできるのだが、振り返ると対話ができたことは一度もない。自分の考えを言うだけの人間なので、何かの話題について、こちらが「私は〇〇と思う。」といったように返答をしても「あなたはそう思うんだね」「どうしてそう思うの?」と言うような対話は生まれず、「お父さんにはわからない」「お父さんは違うと思う」などと言われるか無視されるかのどちらかである。自分の言動が相手にどう受け取られるかには関心がないように見える。昔からそうなので、小学生くらいの時に、父親と会話のキャッチボールをするのは諦めた記憶がある。また、こちらが父親に不満を言ったところで聞く耳はなく、最終的に「子供が反抗した」という印象しか残らず、不満を言ったことへの怒りをぶつけられ喧嘩になることがしばしばあった。

母親は、私が小さい頃から父親や妹の愚痴をよく私に話していた。私はとにかく「お母さんを守らないといけない」と思っていた記憶がある。幼稚園に通っている時、どんなにお腹がいっぱいでも「お母さんが可哀想だから」と言う理由でお弁当を絶対に残せなかったのも、今考えるとその思考の癖のせいだと思う。父親や母親との関係性から、私は他人に自分の希望や意見の伝え方を知らなかったので、不満が溜まって爆発して怒る。と言う状態になったいた。そのため「あなたは二重人格だ」「すぐにキレて豹変する」とよく母親に言われていた。
また、姉妹に対し優劣のある接し方をしていた。私と妹は、所謂「優等生な姉とそうでない妹」と言う関係性で育てられた。私は事あるごとに、「お姉ちゃんなんだから〇〇しなさい」と言われていたし(父親も揃って言っていた)、自分でも「しっかりしないとダメだ」と思っていた。その反対に妹は、「お姉ちゃんができるのにあなたは全然ダメね。」と言った具合でとにかく他と比較してよく怒られていた。こうして不仲な姉妹関係ができあがった。

妹は、中学に上がった頃から周囲との関係がうまく築けずに不登校になった。母親の養育の仕方のせいで、自己肯定感が著しく低く、適切なコミュニケーションの方法も知らないのでそうなるのは無理もない。今では統合失調症になり、不安定な日々の中で戦っている。発達障害グレーゾーンでもあるようだ。私は妹の被害妄想で急にキレられたこともあれば、「もう生きていたくない」などと仕事中に鬼電がかかってくることもあった。両親はたった一人の妹なんだから支えてやってくれと言っていた。不仲に仕向けたのは両親なのによくそんなことが言えたもんだ。とその時は本当に感心した。10代後半はほとんど会話をしていなかったので対応の仕方も分からないので、急に支えてと言われても、親戚の子供と接するような感じで接し方に悩んだこともあった。
私は、実家を離れ、家族を冷静に見れるようになったので妹の苦しみに少しでも歩み寄りたい気持ちがあるが、妹は「姉は都合が良い人間だ」「姉は私を見下している」良いう思考がまだ頭に残っており、急に攻撃的になったりするため、コミュニケーションがうまく取れないでいる。幼少期を振り返って、もっと妹に歩み寄ればよかったと大きな後悔はあるが、両親との関係性も相まって10代の私にはなぜ妹と仲良くできないのか掘り下げて理解することは難しかった。

振り返ると、各々が対話ができないという時点で家族という関係性が崩壊していると思う。話を聞けない父親と、それを子供に愚痴を溢す母親、不仲な姉妹。最悪な構図である。親に従うのが子供の役割という空気が家庭内に出来上がっていた。夫と妻の関係性も破綻しているように私からは見える。とにかく何でもやってあげる妻と、それを当たり前と思って何もしない夫。久々に帰省して、その関係性にゾッとした。

・親のパーソナリティに特性があることを知る

なぜこんなことになってしまったのか悲観的になるのではなく、原因を知ってこれからの向き合い方を考えることが重要だ。というかもう十分悩んだので、いい距離感でこの悩みと付き合っていきたいという思考に変わった。本当の意味で自分の心配をできるのは自分だけ。自分の幸福をどうやって確保するのかが一番重要なのだ。

『「毒親」の正体 』を読んで、両親は各々特性があることがわかった。そしてそのせいで家庭内で関係をうまく構築できなかったのだと知ることができた。

まず父親のコミュニケーションの取り方は、発達障害の特性と非常に似ていることがわかった。発達障害の中でもASDは「心の理論」がインストールされていない人間なのだそう。また、「横のつながりの欠如」も特徴で、ある話題についての別視点からのコメントに対応できないのだそう。子供の言っていることに全く共感できなかったり、対話ができず結果的に喧嘩に発展するのも納得である。またいまだに父親がどういう思考を持っているのかよく分からないのだが、それも「心の理論」がインストールされていないせいかと思った。

次に母親は、不安定な愛着スタイルを持っている人の特徴に当てはまった。不安定型の愛着スタイルが故に、潜在的に愛情に飢えており、夫や妹の愚痴を私に話すことで私から安心を得ていたのだと思う。また、母親の母親にもこの特徴が当てはまる。つまり私の祖母に当たるわけだが、この祖母と母の姉である叔母も相当に不仲であり、祖母が叔母の愚痴を溢してくるという愚痴を母親からよく聞いた。親子揃って同じことをしている。私は絶対にこれを繰り返さないと心に誓っている。

パーソナリティを知ることで、親も不器用ながらちゃんと育てようとしてくれてたんだろうなと想像することができた。必要以上に自分への仕打ちを悲観的に思わなくなった。

・自分のパーソナリティの特徴も客観視する

私自身も不安定型の愛着スタイルの自覚が前からあった。不安定型の愛着スタイルのせいで、ことごとく男関係で失敗をし痛い目を見た。会社でもなかなか自分の思っている事を発言できず、慣れるまでかなり苦労した。現在は、腹を割って話すことのできるパートナーに出会い、自分の対人コミュニケーションに問題があることに気がつくことができた。今のパートナーは、嫌なことを嫌とはっきり主張して何をどう思っているのか説明してくれるが、それ自体が私には新鮮だったし、今まで持ち合わせてこなかったコミュニケーションだった。

・親は必ずしも敬うべき存在ではない

親も1人の人間であり、人間は誰しも不完全なのだ。完全な人間なんていない。だからこそ、無理に親を敬わなければいけないなんてことはない。感謝できる1面があればその1面に対して感謝すれば良い。そして親を敬えない自分を責めないこと。親と自分は違う人間だということをまずは理解すること。もし両親を尊敬できる人がいたら、それはお互いの相性が良くて運が良かっただけ。合わなかったらそれはそれでしょうがない。自分の心に悪い影響があると思ったなら、適切な距離を保って遠くから見守ることも必要なのだ。いくら困ってそうに見えても、自分の力でどうにかできる。自分がこの関係を乗り越えてきたみたいに。そして良い距離感で良い関係性でいたいと思う。

・幸せな家庭という幻想

年齢的に将来結婚したいとか子供が欲しいという話によくなるが、当たり前のように、結婚したいとか子供が欲しいと言える人たちが心底羨ましい。きっと彼ら(彼女ら)にとって家庭がそれなりに良いものだったのだなと思う。
もしかしたら「幸せな家庭」は人間が経済を回すために作り出した存在しない幻想なんじゃないかと思う。そんな幻想を抱くから歪な家族関係に落胆してしまったのかもって思う。
そんな私でも、一緒にこの先の人生を支え合って過ごしていける人がいたらいいなと考えることはある。その人と上手くいけば、子供も育ててみてもいいかもしれない。私は子供にしてはいけないことを身を持って体験したから、それを意識しさえすれば、良い親子関係を築けるかもしれない。

歪な家族だったけど両親、妹と過ごせた時間の中で楽しい瞬間もあった。育ててくれた両親には本当に感謝している。妹とも出会えて良かったと思っている。というか思いたい。でもこれからは自分も家族も「ゆるして」自分の人生を進んでいこうと思う。




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