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死生観は人生観になる

わたし
昨日の夜に
死生観のミニワークショップに参加したんです。


死生観のワークショップは
前から気になってたから 
どんな風に進めて
どんなことを感じるのか楽しみにしてて。


ワークの流れは
わたしの大切な人の名前を二人、紙に書いてから
ストーリーを聞きながら
その二人が居なくなること
わたしが居なくなることを想像する、というもの。


死って
病気になってから意識することもあれば
事故で急に死を体感することもある。


人の数だけ
生き様があるように 
死に様もあるんだろう。


わたしは
もともと家族に看取られて
最期の時をまっとうしたいと思っているけれど
遺された家族の気持ちを知ってるだけに
ワークとはいえ
色々考えてしまったなぁ。


わたしが
遺された家族になった場合
わたしは何を感じてる?
どうしたかった?

そう問いかけた時に出てきた答えは


「もっと
一緒にいる時間を大切にしたかったし
お互い本音を伝えられる関係でありたかった。


そして
家族や大切な人たちと
今この瞬間を大切にしたいと思ったし
無条件で愛する時間を増やしたい」


そう思ったんよ。


そして
逆に
わたし自身が急に死を迎えるとき
が来たとしても
それは同じだと思った。


わたしは
今この瞬間を
できる限り楽しみながら生きたい。


心で
たくさん喜怒哀楽を堪能して
わたしって人間の枠を作らずに生きてみたい。


そう思ったんだよね。

死ぬ日が
いつ来るかはわからない。


死という人生の期限が分かるから
行動するんじゃなくて


いつどうなるかなんて
神様しかきっと分からないけど
この地球に遊びに来たというのなら
喜怒哀楽を全身使って感じて生きてみたいと思った。


死ぬ瞬間を意識することは
決してネガティブなことではなくて
今の生き様を見つめるいい機会になるんだと思う。

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