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卒業される準備。

 アルバイト先の「先輩」とご飯を食べにいく。今年の3月で大学院を卒業して、埼玉に行くらしい。つまり、私たちが勤務している大阪のアルバイト先からも卒業。疲れたあと、ふたりで自転車を押しながら帰るのが楽しみの一つだった。高身長のイケメンなのに腰が低いし、4歳も年下の私にも敬語を使う、そしてよく笑う大好きな「先輩」は卒業する。私は卒業される。

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 卒業とは、転校に近い。転校生を送り出すことも、送り出されることも経験した私から言わせれば、前者の方が辛い。私の意思では再び会うことができるのか確定できないからだ。相手の生活の変化も尊重したいし、無理に私が新生活に介入し過ぎたく無い。「また会おうね」と約束したのに、会えてない奴の方が多い。永遠のお別れになる可能性もあるのか…どうしても頭の片隅には置いてしまう。

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 食事の途中から、ふたりでご飯を食べる機会はもうないのかもしれないと思い始める。閉店まであと30分しかない。そう思った瞬間、今時計を見た自分に無性に腹が立ち、時計を外しポケットに入れる。「そういえば、私たちっていつから話すようになったんでしたっけ?」

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 先輩という生き物は常にかっこいい。愛おしい。大学に入ると、先輩とご飯に行くこと、遊びに行くこと、旅行に行くことが格段と増える。私よりも年齢が上なのに、気を遣わずに会話できるようになってくるし、こちらから遊びに行こうと提案できるようになってくる。不思議だ。そして時間を共有すればするほど「卒業」という儀式に重みが出てくる。あれ?いつの間にこの人は私の中でこんなにも大きな割合を占めていたんだろうか。今卒業されたら困る、楽しい生活に穴が空いてしまう。そっちは新居探したり、卒業要件確認したりと、準備できてるかもしれない。けどこっちはできていない。卒業される準備ができていない。

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 2年半以上の仲の「先輩」と思い出話で盛り上がる。アルバイト先から家に帰るだけのたった15分のことなのに。週1回会うか会わないか程度なのに。密度に固執しがちな社会だけど、年月も軽視しちゃいけない。存在した時間の長さは強く意味を持つ。
 店を出て自転車を押す。もうしばらくご飯行けないのかと思うと悔しい。埼玉と大阪の距離は流石に理解できるから悔しい。その感情が抑えられず、

「なんか…寂しいです。誤解を恐れずいうと、私の大事な友人が一人遠くに転校しちゃう感じです」と口走っていた。21の青二才か25の大先輩に。失礼極まりない…はずだ。

「嬉しいです。僕も寂しいです。また実家帰ってきたらご飯行ってください!あと、友人かぁ…じゃあ、今からタメ口で行きますね」

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 卒業されることは辛い。全力で泣きながら、もっと関われたのではないかと後悔する。しっぽり家でも泣いて、本人を前にしたらまた泣いて、悔しがって。そんな先輩に囲まれていることが幸せだ。辛い事実・悔しい感情を通して、自らの幸せを知る。「卒業」特有の感情を味わう。少し痛い。ただ、未来がないわけではなく、一区切りというだけだ。トップガンだって、36年間終わった気がしたけど、最強の作品となって、再び会えたじゃないか。
 他人の人生の転換点に想いを馳せられるなんて、これほど幸せなことはない。その転換点の先に自分がいることを信じる。また会えることを信じる。信じることを全うする。卒業される側の立場でできることはたったそれだけだ。

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 いつもの分かれ道。お疲れ様です、という言葉を交わして終わるいつもの時間。今日はそれだけじゃ足りない。

 「あの、また埼玉で美味しいご飯屋さん開拓しといてください!いくんで!連れてってください!」

 「もちろんです。絶対行きましょう!」

 固い握手。タメ口を使ってくれないこの「先輩」とはまた会える。そう確信した瞬間だった。

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