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イヤホンの充電がない朝。

 週1回2コマ分しか授業を履修していない私だが、週3くらいのペースで学校には来ている。家から電車を2回も乗り換えた挙句、駅からおよそ20分近く坂道を歩くという苦行を生活習慣病対策と銘打って登校している。到着予定時刻は朝10時。ポイントは朝10時「まで」ではないことだ。きっかり朝10時でなければならない。それより先に登校すると、1限出席というハードなミッションを遂行する血気が盛んな若人たちと歩かなければならないし、それより後に登校すると、2限出席という高校生までなら考えられなかったこの幸せなシステムにすら肩を落としている若人たちと歩かなければならない(私も若人です)。駅から大学まで歩くおよそ20分が好きだ。イヤホンの充電が切れてしまった朝があった。

 9時40分。駅を降りて左手に曲がると早速坂が待ち受ける。ファストフード、コンビニ、カフェ、家系ラーメン、ラーメンと大学生の空腹を救済する店が並ぶ。その中の一つに、個人経営の牛丼屋さんがある。今日牛丼屋と聞くと、チェーン店の名前しか浮かばない私にとって、その牛丼屋さんはとても魅力的だ。2020年の12月、大学1回生の12月、大学に登校するだけで幸せだったあの頃、大学で初めてくらいに出来た友人と食べに行った。ガタイが良すぎるあいつのせいで店はとても狭く感じたのを覚えている。同じ基礎ゼミのメンバーの名前が覚えられないとか話した記憶しか残っていない。ただ、大学の友人とふたりでご飯に行けたのが嬉しかった。そんな思い出の牛丼屋さん。

PayPay推しすごい。

 向かいから警備服をきた男性3名とすれ違った。1限のピークを終えた誘導員の方々だろう。おはようございます。本日初の発声に成功した。みなさまとても明るい声で返してくれた。あいさつは素晴らしいものだ。こんな寒い朝なのに乗り越えられる気がする。3人は盛り上がっていた。特に1番左にいた方が元気だった。W杯の話題だろうか。家族の話だろうか。お酒の力がなくてもあそこまで楽しそうなおじさまを久しぶりに観て、どこか元気が出た。と感慨深くなるのも、つかの間。すぐに若人は二択を迫られる。

どっちにすすむ?
▶坂道 
▷石畳の階段

▶坂道を選択すると、ここからしばらく急な坂道が続き、気づけば体力を奪われている。▷石畳の階段を選択すると、こちらもしばらく階段道が続き、登り切ったことには体力が奪われている。そう、どの道を選んでも、体力は奪われる。この時点で、HP50を切っているよう若人に命の保障はない。悩む私の背中を大学行きのバスが走る。その分岐点で立ち止まっている私はどれだけ哀れに映っているのだろうか。バスに乗らないことでお金を浮かしている自分は正しいのだろうか。バスよ、教えてくれないか。頭がおかしくなってきた。

▶坂道

を選択した。理由は特にない。どうせ体力は奪われる。

 1限、2限のピーク時の通学路は人が多い。あまりにも多い。マンモス大学と言われているが、駅前の階段の足音をマンモスに聞かせれば怯むこと間違いなしである。そして、あの空間の人々は全員同じ施設に向かっている。意思に関係なく、一度駅を降りれば波にのまれて、気づけば学校に着いてしまっている。立ち止まることは、調和を乱す行為としてご法度だ。ただ、ひとりで歩くことのできるこの時間は無敵だ。波もない。潮も引いている。坂道の途中、駐車禁止の看板に乾かされている軍手に想いを馳せることもできるし、道端に落ちている筆箱にストーリーを想像することもできる。ゆっくりと思考することを認められている。深夜自室でする思考とは比べられないくらい暖かく、前向きだ。

 中腹までたどり着くと公園がある。1組の母子がブランコに乗っている。ゆらりゆらりとゆっくり動く2人。顔は見えなくても伝わる感情。とても輝いていた。ひとりで登校している私と違い、朝早くから誰かと時間を共有していることが羨ましくて仕方なかった。友人や恋人と宿泊するとテンションが今だに上がる私だが、その理由は朝にあったのだと気づいた。朝早くから同じ時間を過ごすことができる幸せが好きなのだ。だからかつて、6時集合などというクレイジーなデートを企画したりしたのだろう(反省はしてます)。誰かと同居したり、子どもが生まれたら、必然的にそうなる。いつか結婚したい。まさか登校中に結婚願望が生まれるとは思いもよらなかった。これも、波にのまれずゆっくりと思考できたからこその産物である。
 と、スロー思考にハマった矢先、それを超えると白いアーチが目に入る。いつも当たり前に通っている、この白いアーチはなんのためのものなんだろう。ゆっくりと思考した。

 わからなかった。

屋根もない、メッセージもないアーチです。

 そして大学が見えてくる。そう、やっとだ。だが、ここからの一本道が長い。バス停が2・3個存在している。高校生が世界史の教科書を読みこんでいる。テスト頑張ってくれ!まだ、赤い葉がついている木がある。明日の朝にはなくなってしまっているのだろうか。なんの気なしに通っていたトリミングサロン、犬販売もやってるんだ。何回も通っている道の店で知らないこともあるんだなあ。いつか食べてみたいと思っていたお菓子屋さんの「出産のため、しばらく休業」の文字が目に入る。おめでたいなあ、また出産が落ち着かれたら、絶対食べに行こう。

 とても寒いはずの世界だが、なぜか苦痛ではない。景色に集中していなかったら、見つけられなかったものがあった。人の波に乗っていたら、考えなかったことがあった。それだけで価値のある朝だ。いい朝。いい生活。大学の警備員さんに大きな声で挨拶を…んん?

 その警備員さんは3人のうちの1人。1番楽しそうに話していた人だ。私と真逆の方に歩いて行ったはず…どうして私より先に大学に…?

 もしや…あのバス乗ってたんじゃ…。

 それに気づいた瞬間、体力が奪われた。

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