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らしさのレッテル

共感する曲って、時期によってすごく変わりますよね。
今日は私の誕生日なのですが、誕生日は自分語りの日、ということで「自分らしさ」がどこにあるのかとかを考えてみました。なんでこんなことを考えたかというと、YOASOBIさんの群青という曲があまりにも刺さっている時期だったから、です。

ありのままの自分ってなんだっけ

らしさを考える前に、ありのままってなんだっけというお話をさせてください。
私はいままで何度も「自分らしさ」とか「ありのままの自分」とかそういったことについて考えてきました。なんでかというと、会社にいる自分がなりたい自分でも楽な自分でもない状態で違和感があったのが理由として大きいです。
さて、私にはバーチャル(インターネット上)の自分とリアルの世界での自分が存在します。本名を知らない人たちとの関わりが人生のなかで大きな割合を占めており、一緒にゲームをしたり通話をしたりしながら日々を過ごしています。Vライバーと呼ばれるコミュニティの中で、ゲームが好きな人たちだったり話が合う人たちとある種の仲良しグループを結成し、ほぼ毎日会話やテキストでのやりとりが発生するような関わり方をしています。
実は誕生日当日もそれぞれが好きなことをしながらおしゃべりをする時間を過ごしていて、0:00をこしたタイミングで誕生日の歌を歌ってもらうなどしました。
そんなバーチャルの自分っていうのは、何かを「隠している」自分なのでしょうか。彼らは私がなんとなく自営業でなんとなく映像作ってそう、くらいの事は知っています。具体的に〇〇大学卒業で〇〇という会社で働いているといったことは知りません。でも彼らと話している自分は、間違いなく自分です。

リアルの世界でも、学生時代の友人の前の自分と取引先の前の自分は違うでしょうし、基本的な「これが好き」などは変わらないにしても態度とか話し方とかは変わると思うんです。変わったことで、印象が変わり、相手からの見られ方もきっと変わります。どう見られたいかというセルフイメージがそこで表現されているんだと思います。

ではありのままの自分というは、どこにいる自分なんでしょうか

全ての自分を包括して表現された自分がありのままなのか
全ての自分のなかの共通の箇所がありのままなのか
それともありのままの状態なんて存在しないのか

友だちと過ごしていても、一緒に過ごした期間やたまたま会っていた時期が違うだけで共通の思い出話が変わりますエピソードが変われば見える人となりも変わりますから、どこのコミュニティで自分がどう見られているかも変わると思うんです。だったらありのままってどこにあるの?って思っちゃうのです。

この話に結論はありません。

自分らしさはどこにあるのか

では、ありのままがどこにあるのかはわからないとして、自分らしさってどこにあるんでしょうか。
〇〇ちゃんってこれ好きそうだよね、〇〇ちゃんらしいね、と人に言われることってあると思います。でもどのコミュニティにいるかでこちらの態度が変わるわけですから、そこで〇〇らしいは変わってくるのかもしれません。
ですが、リアルの友達もネットの友達もみんななぜか私らしさを知っているんですよね。(ありがとう周りのみんな)

もしかしたら自分らしさが複数あるのかもしれないし、どんな場所にいるどんなセルフイメージの自分でも根っこに自分らしさだけが残るのかもしれないです。これもわからないです。

ただ、これだけはどれだけ言われても違うなと思う私らしさがあるんです。私ってこうだよねって言われるやつでそうじゃないよってところがあるんです。

自分らしさにレッテルが貼られてる

・夢を叶えている人
・夢を追っている人

これが、2年で会社員をやめて1年フリーランスをして起業して1年経って、友達と一緒に仕事して...周りの人には夢を叶えている、自分を生きている、みたいに言われます。もちろん会社を辞めるのも会社を作るのも自分で選んだことです。ですが、これが夢だったわけではありません

今までいくつもの夢を過去に置いてきました。ダンスを仕事にするとか映像作家になるとかそういう内容なのですが、まだまだしがみついているのでダンスの動画を作りたいとずっと思っています。そして作っています。ただ、ダンスを映像にすること自体は仕事として成り立っているわけではありません。他の仕事をして、開いた時間に好きな動画を作っています。本業とやりたいことの作業内容が近いから一見夢を叶えているように見えますが、実際にはセミナーとか広告とかの動画ばかり作っています。夢は叶っていないのです。

・自分らしい働き方をしている

これに関していうと、休みなんてないし、起きてる時間ほぼ仕事してるし、自主制作に時間を使いたいけど作業に忙殺されている状態です。
ワーカホリックなのかもしれないし、仕事をしている時間も自分として生きていると思っていますが、必死こいて働いているのでなんとも言えない...と思っています。なんとも言えない...。これが最近の私です。

他の人から見るとこうだけど、それに対して自分は違うように感じている。はよくありますよね。いろんな人に褒めてもらって期待してもらって、それがどんどん実力以上になってしまっているように感じている今日この頃です。

だけど、自分が自分をそう見せているのかもしれないとも思います

オンラインでのやりとりしかないいわゆるネッ友のみんなはこの辺のレッテル的な肩書き的なことは知らないです。知っていても関係なく関わってくれます。だから新しい出会いが、楽だし飾らないしありのままなのかもと錯覚もします。

レッテルは剥がす必要ない気もする

名前がついたらストンとくることもあると思っているので、他の人にそう見えているならそうなのかもしれないとも思います。だけどそうかもしれないしそうじゃないかもしれないしでずーっとモヤモヤしています。

じゃあそんなモヤモヤした状態で(実は3月からずっと考えててメンヘラ状態なのですが)過ごしてきてみて、そんな私にグサっと刺さった歌がYOASOBIさんの群青だったんです。

群青の歌詞から今の自分を振り返る

ありのままの自分がどこにあるのかわからない、とここ2年ずっといろんな人に話してみたり、アート活動に使ってみたりなどして、ここ最近はより一層考えを深めていた中で、ハマってしまった群青という曲。ここからは群青の歌詞のお気にいりの箇所を引用してから今の自分の考えてることを話してみようと思います。

感じたままに進む
自分で選んだこの道を
重いまぶた擦る夜に
しがみついた青い誓い
好きなことを続けること
それは「楽しい」だけじゃない
本当にできる?
不安になるけど

今の自分のいる場所は間違いなく感じたままで選んできた道です。こうしたほうがいいかも〜こうしよう〜と自分で選んできました。動画制作自体は好きですし、広告制作も好きです。好きなことを仕事として続けることも楽しいだけじゃないどころか辛いことの方が多いです。辛いですがやりたい仕事なはずなのです。趣味で続けているダンスもしんどいことが多いです。でも好きだから、やめられないから続けています。それでいいんだろうなと思う箇所です。

そしてもう1箇所

全てを賭けて描く
自分にしか出せない色で
朝も夜も走り続け
見つけ出した青い光
好きなものと向き合うこと
今だって怖いことだけど
もう今はあの日の透明な僕じゃない
ありのままの
かけがえの無い僕だ

ずっと自分にしか出せない色を探しています。大学時代の卒業制作やアートにエールを!の企画で自分の色の片鱗を見た気もするのですが、まだまだ見えずにいます。死ぬまで見えないのかもしれないです。探していきたいです。
ただ1つだけ言えるのは、好きなことがわからない自分だったり好きなことをしてはいけないと思っていた自分でいたころよりは、「ありのまま」で「自分らしい」かけがいの無い僕で過ごしていると思います。

ここまでいっぱい話したけど要するに

今が1番輝いてて、今が1番たのしいです!みなさんありがとうございます!

サポートいただいた際には全額作品制作に使わせていただきます。