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星野源の音楽

星野源の音楽が好きだ。

友人に「星野源の曲の何が好きなの?歌詞?メロディ?」と聞かれて、「うーん、歌詞も良いしメロディも良いんだけど。。」と、上手く星野源の音楽の素晴らしさを言葉にできなかった。
どう言えば良かったんだろうと思い、まとめてみた。

1、歌というより、「音楽」
2、歌詞の世界観
3、中でも好きな楽曲


1、歌というより、「音楽」

僕にとって、星野源の音楽は今までの僕の「邦楽」の概念をぶち壊してくれた。

これまで僕が聴いていた邦楽は、メロディや歌詞が自分にハマる、グッとくる曲が好きだったが、イメージとしては「歌」というイメージだった。

でも星野源の歌は、「歌」というより、「音」、「音楽」だと感じた。

もちろん歌ではあるのだが、
ギター、ベース、ドラム、マリンバ、手拍子、コーラス、電子音などなど、
色々な音が鳴り、リズムを創り、心を踊らせてくれる。

時にギターと温かな歌声の柔らかいメロディに聴き入ってしまうし、
時に様々な電子音が複雑かつリズミカルに織り込まれて、体を踊らせたくなったりする。

楽しい。
喜怒哀楽、様々な感情を音楽の中で味わえる。
凄く楽しいし、飽きない。

2、歌詞の世界観

歌詞の世界観も好きだ。

「ただ 地獄を進む者が 悲しい記憶に勝つ」
「みんな寝静まれば いつもの時間だな 楽しい夜更かしを 意味のない掛け合いを」
「ここにいないあなたへ 空を見てはそっと手を繋いで」
「Take me back to the countryside where I don’t belong anymore」
「声を上げて 飛び上がるほど嬉しい そんな日々が これから起こるはずだろ」
「働け この身のすべて使え 定時まで 輝け この世の流れ 生み出せ 朝まで」
「生まれ変わりがあるのなら 人は歌なんて歌わないさ」

普段感じていることをパッと言い当てられた(と勝手に思った)末、悩みは色々あれど頑張ろうと、そっと背中を押してくれる。

また聴き手には計り知れない星野源自身がこれまで感じてきた、また今現在感じているであろう孤独、病気の辛さ、葛藤、日々へのありがたみ、日常の素晴らしさが、歌詞の中で少しだけ垣間見える。感覚が似ている、なんて一凡人の自分には恐れ多すぎて到底言えないが、どこか共感、というか、自分にも通ずるものを、感じることができる。

これが人に寄り添える、聴き手に寄り添える星野源という人自身の魅力なのかもしれない。

3、中でも好きな楽曲

一番好きな楽曲は、と聞かれたらどれだろう。

リズム良く駆け抜ける「夢の外へ」や「ワークソング」、
田舎へ連れて行ってくれるような「ただいま」も好きだし、
しんみりと浸れる「未来」も「生まれ変わり」も好きだし、
音が楽しい「Continues」や「The Shower」、
低音が骨に染みる「ダスト」や「Ain’t Nobody Know」も好きだ。

決めがたく、「どうしても1番を決めなきゃダメか?」と誰にも求められていない自問自答をしてニヤニヤしてしまう。変態だ。

でもやっぱり強いて言えば、「化物」。

マリンバから始まり、疾走感のあるメロディ。
「誰か この声を聞いてよ」という、認められたい、理解してほしい、という気持ち。
「地獄の底から次の僕が這い上がるぜ」というこれからだ、やってやるぞ、という意気込み。

自意識こそが自分の中でせり上がる「化物」であり、これから光輝くであろう次の自分こそがまた「化物」である、と勝手に解釈している。

またこれが、星野源が病気から復帰した直後の楽曲ということで、「地獄の底から這い上がる次の僕」という表現も、その時の星野源の、ここからやってやるぞという意志を感じて、なぜかこちらもグッと力が入る。

うん、良い。
何度でも聴いてしまう。

次誰かに星野源の良さを聞かれたら、上手く布教できる気がしてきた。早く誰か聞いてくれ。。





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