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#高校生、だった

私は定時制の工業高校に通っていた。単位制で四年制。
17時から地下の食堂で給食を先生混じえて皆で食べ、18時から授業が始まる。仄暗い時間、外の景色はビルが立ち並びきらきらとしている。教室はこれでもかというくらい蛍光灯で照らされ、いつも鬱陶しいくらいに眩しい。

教室移動する度に、教材を取り出すため廊下のロッカーを開ける度に、海外ドラマみたいだなってちょっと心が躍った。私服制だったので皆が自由なファッションを楽しんでいた。髪のカラーリングも自由、ピアスもタトゥーも自由、皆とても個性的で素敵だったのを覚えている。ちょっと怖そうな先輩も、おしゃれで憧れた。

定時制、つまり夜間だったので、それぞれ色んな事情があって通学していたんだと思う。私も例外なくその一人で、私のように中学を不登校で過ごした人も多かったんだろう。ただ、同級生でも「なぜ定時制に通うことになったのか」を聴いたことはなかった。もはやそんなことはどうでもよく、愚問であり、私たちはただ同じ「何か」を共有していた。それだけで仲間意識のような安心感があった。
皆がどこか中学の同級生よりもずっと大人びて見えたし、何かを「知っている」ように見えた。様々な経験を通してこの場にいるということが、何を語らなくとも理解できた。互いに共鳴するものがあったように感じる。

年齢も様々。国籍も様々。格好も様々。恋愛も様々。
暴力的なまでにドラマチックな日々だった。

私は初めて「ここにいていいんだ」という安堵感を覚えたように思う。

若さゆえの恐ろしいまでの「感情」が暴走する瞬間を見ることも、時には知ることも、走馬灯のような時間を皆で共有した。

皆、家に居場所がなかったり、共感できる相手がなかなかいなかったり、窮屈で肩身の狭い思いをしていたり。していたんだと思う。

昼間はバイトをして、夜は学校に通う。毎日ハードスケジュールで授業中はくたびれて居眠りすることもある。先生たちは長年定時制を見守り続けたベテランばかりだったので、そんな私たちをいつもあたたかく放置(笑)してくれていた。

この自由で鋭利で優しくも暴力的な夜たちを、私は忘れることはないと思う。
傷ついたり傷つけられたり、くっついたり離れたり。
訃報を聞いて放心状態になった日も、偶然が必然と知った日も、気怠すぎてほとんど寝て過ごした日も、皆でサボって夜の街に繰り出したことも、卒業式に壇上で投げキッスをしたことも、思い出せば痛々しいほど、私は、私たちは生きていたんだなと感じる。

甘えすら美しい瞬間だった。
未熟なほど可憐な瞬間だった。

あの時だけの、かけがえのない時間。

今となってはもう存在できない時間の数々。

思いを馳せればカオスに嵌る。

私たちが生きていた儚い時間。





「人の記憶ってね、曖昧なものなんだよ。確かめる術がないから、本当かどうかわからない。気づかないうちに記憶違いしていることもたくさんある。だから過去はとても不明瞭なものなんだよ」

うん、そうだねと思う。
私は「夜のエッセイ」で、頭の中で散らばった記憶の破片をひとつひとつかき集めて、セロハンテープで繋ぎ止めている。形には残らない。目には見えない。だからこそ記すわけだけど、できる限り純度の高い状態で記すことができればと思う。

若さも過ちも罪も罰も

ただただ、抱きしめることができれば。

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