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ぴーやまVol.1 「肩書きのない〈何者か〉になりたい」

はじめまして、ぴーやまです。1988年生まれ32歳の子供部屋おじさんです。一流中学、一流高校、一流大学卒業。大手芸能事務所入社、9年間、週8日勤務、週8日で飲み会。2020年ハイパーメディアクリエーターとして独立したらコロナ。そんな中、クラブハウサーデビュー。
「すごくないひとがちがゆるっと集まって、どこでも聴けるレベルの話をして居座る場所。出入り・寝落ち自由【スナックぴーやま】」を深夜にオープン。名もなき一般人ながらフォロワー3.5K。深夜ルームに100人以上が集まるちょっとした有名ルームになって、「GQ」で辛酸なめこさんに取材記事まで書いてもらうという僥倖。こんな僕ですがいつも「何者でもない」自分が、「何者かになりたい」と思って生きてます。めちゃくちゃカッコつけて生きてますが、めちゃくちゃ全力で生きてます。

ぴーやま…山之内涼(やまのうち・りょう)

1988年9月19日生まれ。32歳。千葉県出身。A型。
慶應中学、慶応高校・普通部より慶應義塾大学へ。
2011年:同大学卒業後、大手芸能事務所に入社し9年間マネージャー職に従事。
2020年:7月に退職し独立。“ハイパーメディアクリエイター”としてコンテンツのプロデュースやキャスティング、コンサルティング等を手がける。
2021年:3月よりTikTokマーケティング等を行う広告代理店である株式会社TORIHADAの企画制作チームの管理職としても参画している。

やりたいこと100個書いてわかったこと

「これからやりたいことを100個書いてください」

と編集者に言われ、そんなの簡単だ、と最初は思っていました。
ヴィトンのバッグ、ヴィトンの靴、欲しい物もたくさんあるし、テレビに出たいし、有名になりたい。100個くらいすぐ埋まるはず。

しかし、書き始めてみるとなかなかリストは埋まりませんでした。書いても、書いても、100個は気が遠くなりそうな数。

1.都心のタワーマンションの最上階に住む
2.好きなだけヴィトンで買い物をする
3.高級ホテルに好きなだけ住む

「……ヨーロッパに行く、小さい財布を買う、靴や服をしまう用の倉庫を借りる、寿司職人呼んでパーティーする、脚だけ10cm伸ばす、永久脱毛する、海外へファーストクラスで行く……」

何日もかけてやっと100個書き終えて提出してみたら、編集者から「7割はお金で解決できること、2割は見た目を改善したいということ、1割は有名になりたいとか承認欲求ですね」と言われて愕然とした。
残りの数個に「親孝行がしたい」「関わる会社を上場させたい」というのが、数少ない他人に関する願いだったようで、あとは、確かに自分に関することばかり。
「確かに、世の中金で解決できることばかりですね。社会の役に立ちたいとか書いたほうが良かったですかね」僕は笑って答えました。

やりたいか、やりたくないかより、楽しければ大丈夫

指摘されて気づいたけど、よくよく考えると、自分のやりたいことなんて実はたいしてない人生でした。この100個のリストだって、求められたから書いたけど、自分が本当にやりたいことではないかもしれない。

僕の人生に「やりたいこと」はあまりなかったけど、「やりたくないこと」もそんなになかった。うまくできないことや苦手なことは、本を何冊も読んだり、やり方を工夫したりすれば、たいていはいつかできるようになっていました。

「最後までやり続ければ何かしら成果は必ず出る」と父に言われたのは、小5の時。中学受験がきつくて、友達と遊びたくて受験勉強から逃げようとした僕に、温和な父が珍しく声を荒げました。御茶ノ水にある塾まで日々送迎してくれていた母は、毎日塾を辞めると言って暴れる僕に疲れて、病みかけていました。
あまり見たことがない父の剣幕に、子供心に怖かった。
「そこに座れ!」
正座させられ、悔し涙を流す僕に
「ここで諦めたら何にもなれない。ソレだと何も長続きしない人間になるぞ。受験に失敗してもいいから、とにかくやり遂げろ。どこも受からなくていいから小6の最後まで塾に行け」と雷が落ちました。

僕もすごく泣きましたね。これはやらないといけないと思った。
当時はできないとぶたれることもあるようなスパルタ塾だったけど(今ならアウト)、そこからとにかくやれるだけやってみようと続けたら、中学受験最難関の一校である慶應義塾普通部に受かってしまった。やりきることの大切さを学びました。これが、僕の人生の最大の成功体験かもしれない。だから、やればできるし、やりたくないことも継続すればできるようになると思うんですよね。

全力で逃げるときもあっていい


一流私立中高の仲間入りをしたことで、僕は人生の大きな目的を叶えてしまったようなところもあったのかもしれません。中学から大学まで慶應でそのまま過ごし、やることはみんな楽しかったし、仲間たちも楽しかった。だから、特に自分から「やりたいこと」「やりたくないこと」を分ける必要なんてなかった気がします。

だからこそ、まれにある「絶対やりたくないこと」からは全力で逃げたい。
仕事で絶対やりたくないことを絶対にやらないために、9年勤めた大手芸能事務所のマネジャーを去年辞めて、フリーランスになる決心をしました。

それまで深夜まで働き、ほぼ「週8日仕事」というくらいコミットして、ある程度成果も生みました。それにも関わらず、会社の体制が大きく変わり社会人9年目にして時間だけを食う雑用が急に増えたんですよね。

僕、人生で時間を無駄にするほど、バカバカしいことはないと思ってます。自分の時間を絶対にやりたくないそんな細かな雑用仕事に取られたくない。
会社員という「選べない生き方」に、自分の未来はそれ以上描けなかったのです。

「絶対にやりたくないことをやらないでおこう」と決め、退職を上司に切り出したのが出したのが、体制が変わった1ヶ月後です。

肩書でポーカーをせず、自分の名前で生きていく

「山之内涼として生きていけるようになれ」と言われたのは、新入社員の頃にかわいがって育ててくれた上司でした。

挨拶回りや仕事の名刺交換の時、「○○社の△△を担当しています山之内です」というのが普通ですよね。でも、「それじゃいつまで経っても、お前に仕事を頼もうと思う人はいない。お前だから一緒に仕事をしたいと思わせるようになってみろ」と言われました。

中学受験で大成功を収めたのに、就職活動は大苦戦。面接で必ず聞かれる「人生での挫折とそれを乗り越えた経験」。これが答えられない。なぜなら楽しい学生生活に挫折なんてなかったので。今思うと、落ちまくった就職活動が、人生で初めての挫折かもしれない。

そんな就職活動でやっと決まった大手芸能事務所のマネジャーの仕事ですが、そんなに興味のある業種ではなかったんです。でもそこしか決まらなかったんだから仕方ない。慶應の友人たちの多くは平均年収の高い大手企業に就職していて、彼らに比べたら自分の年収の低いことがコンプレックスでした。だから、仕事へのやりがいも最初はあまり見つからなかった。

でも、上司に言われたこの一言で、「自分の名前が通用する、何者かになりたい」って強く思いました。

肩書きで、ポーカーゲームのように勝負をするのをやめよう。この人といると楽しい、この人と仕事がしたい、この人がいると会議が回る、この人に近づきたい……そう思われる何者かになろう。


肩書きを捨てて残るもの

まだ何者でもない僕ですが、クラブハウスを始めて、3500人以上のフォロワーがつくほどの人気を得られたのは純粋に嬉しいです。大学名や企業名も一切出さずに、別に何かの知識やお得情報を出すわけでもない、ただ来る人とトークをする僕のルーム「スナックぴーやま」。そこには、深夜にも関わらず多い日で200〜300人のゲストが来てくれます。BEAMSの設楽社長をはじめ、多くの有名企業家や芸能人、アスリートがこのルームの常連になっています。

クラブハウスって、みんな自己紹介文でアピールしようとするから、ハイスペックな肩書きや意識高い系に見せたがる言葉がふわふわ散りばめられているんですよね。

僕は、部屋に来てくれた人たちのそんな自己紹介文を読み上げて、そこに突っ込んだり、話を広げて振ってみたりしていたのですが、それがウケてどんどん人が増えました。僕のような、肩書きもよくわからない若者が、誰に対しても突っ込んで話していくのが面白がられたのかもしれません。

マイクロソフト初代代表取締役社長の古川享さん、SKE48初代支配人の湯浅洋さんなど、様々な業界の著名人が常連さんです。後は、酸いも甘いも経験しているような熟女のお姉さんたち。

でも、誰に対しても、僕は同じ姿勢で接します。昼は仕事や生活で疲れた人たちが、夜しっとりと大人の会話を楽しむ場所、それが「スナックぴーやま」。みんなちょっと肩の力を抜いて、肩書きでポーカーするのも逆手に取って楽しめるくらいのスタンスで楽しんでもらう場所だと思っています。

そんな僕の「何者かになりたい」というあがきをぶっちゃけようと思います!



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