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自分に自信をつけるためにおススメな3つの方法。

私は物心ついた時から、自分に自信がなかった。幼い頃は、その原因は妹にあると思っていた。2つ年下の私の妹は、子どもの頃から頭が良くて口が達者だった。人懐っこく、愛嬌があり、自分の意見をしっかりと持っていて、誰からも可愛がられる子どもだった。対して私は、人見知りが激しく、無口だった。慣れたら話せるが、慣れるまでは挨拶すらできない子どもだった。幼な心に、私はそんな自分と妹をいつも比べていた。自分の考えを持っている妹が羨ましかった。私が小学校低学年の頃、両親と妹と家族4人で知り合いのお宅に遊びに行ったときに、少し年上(小6か中1くらい?)のお姉さんたちが何人かそのお宅に来ていて、私と妹は遊んでもらうことになった。お姉さん2人のうちの1人は、私と妹を見るなり、すぐに妹の方に行き、「一緒に遊ぼう!」と声をかけてきた。私は一人、ぽつんと余ってしまい、もう一人のお姉さんが仕方なしに(?)私の方に来て、「じゃあ一緒にあそぼっか」と声をかけてくれた。子どもながらに、「このお姉さんは、余った私がかわいそうだと思って声をかけてくれたんだな」と思った。私が自分に自信が持てないのは、私は何をやっても妹には勝てない、と思っていたからだった。

私は、中学1年生の2学期から、親の仕事の都合で北海道から東京に引っ越しをすることになった。やっと慣れてきた中学校生活だったのに、突然私は田舎の中学校から都会の中学校へ転校したのだった。ちょっと派手な子やガラの悪い子たちが集まるその中学校で、私は馴染むことができなかった。気づいたらいじめにあっていた。「気持ち悪い」だの「目をあわせるな」だの散々言われた私の自信は、スッカラカンとなってしまった。人と目を合わせたら申し訳ない。私が近くに寄ったら、みんな嫌な気持ちになるから、近寄るのをやめておこう。いつしか私は、そんな考え方が沁みついてしまい、必要以上に遠慮したり、必要以上に自分を卑下したり、自分から人と距離を置くようになった。その考え方のまま、高校に入り、大学に入り、大人になった。いまだに、人との適正な距離感がわからなくなってしまうことがある。それほど、思春期の時の過ごし方は自分の人生に影響を与えてしまうようだ。

自分に自信をつける方法①

そんな私も大人になり、アラフォーと呼ばれる年代に突入している。昔ほどの生きづらさは抱えていないものの、いまだに人間関係ではこじらせたり、なめられたり、嫌われてしまうことがある。なぜだろうと疑問に思ってYouTubeを見ていた時に、大きな発見をした。それは、私が私自身に対して軽く扱っていたということだった。自分の価値を自分で認めてあげず、自分みずから「自信のない自分」を演じていたのだった。中学校の時に沁みついた、「目立ってはいけない。派手にしてはいけない。」という思い込みが、現在の自分をいまだに支配していた。自分に自信をつけるためには、必ずしも、自分に足りないものを付け加える必要はなく、ありのままの自分を認めてあげることだけでよかったのだった。人は、自分が発しただけ、与えただけのものを受けとれるようになっている。自分が自分に対して発してきた言葉、思い込みを、私は他人から受け取っていたのだった。「ありのままに表現していい。目立ったっていい。自分が着たい服を着て、自分がやりたいことを思いっきりやっていい。どうしてそれが悪いのか。犯罪を犯したわけじゃない。」と、そのYouTubeでは言われていた。まったくその通りだなと思った。そんな簡単なこと、私は今までできていなかったのだ。そんな簡単なことを、私は私自身に許可してあげられていなかったのだった。私が子どもの頃に自信がもてなかったのは、いつも他人軸で生きていたからだった。自分のことを好きになるのに理由なんて必要ないのに、「妹に勝てないから自信がない」「他人から嫌われているから自信がない」と、いつも他人に基準を置いていた。周りからどう思われていたとしても、周りより出来ないものがあったとしても、それが自分の自信がなくなることには繋がらなくて良いのだ。繋がる必要がなかったのだ。だって私は私だから。この世に、同じ人間が何人もいるなんて、それほどつまらないことはないのだから。だから、このままで良い。自分が自分のままで存在していることに、価値があるのだ。

自分に自信をつける方法②

もう一つ、自分に自信をつけるためのおススメの方法がある。それは、少し時間がかかってしまうかもしれないが、何かを継続してコツコツ行うことだ。これは本当に自分に対してのゆるぎない自信となる。一週間でもいい。一か月でもいい。まずは何かを継続してやってみることだ。「自分は飽き性で物事が続かない」と思っている人がいたとしたら、それは飽き性なのではなく、単純に自分に合わないことを無理してやっているか、好きではないことをやっているかのどちらかだ。私も昔から、自分は熱しやすく冷めやすい人間だ、と思っていた。行動力だけは昔からあるほうで、思い立ったが吉日、すぐに始めてみるタイプだった。しかし毎回、一か月も経たないうちに、始めた頃の熱意は消え去り、投げ出すことがほとんどだった。当時は、そんな自分がとても嫌で、それが悩みのタネだった。一旦手を出して途中で投げ出したものは数えきれないほどある。何百万というお金を使ってきた。でも今考えてみると、それは単純に自分にとって必要のないもの、合わないものだっただけだ。現に、今は、好きで続いているものがいくつもある。だからまず、興味があることをどんどんやってみよう。自分に合うかどうかは、やってみないとわからない。やってみて合わなかったら、また別のことをやってみたらいい。私自身は、10月から道端のゴミを拾うことを始めた。10月はできなかった日もあったが、11月に入ってからは、1日も休まずに継続することが出来ている。続ければ続けるほどに楽しくなってきて、今では、やらないと気が済まなくなってしまった。そして、ゴミ拾いを続けているうちに気がついたことは、何かを続けることができている自分に対して、大きな自信がついてきたということだ。ゴミ拾いに関しては、また別の記事にしたいと考えている。

自分に自信をつける方法③

そして、自分に自信をつけるためのおススメの方法3つ目は、こうして、自分の思いをどんどん文章として表現していくことだ。書けば書くほど、自分の考えが確立していき、それが自信に繋がっていく。誰かに見せる必要はなく、文章が上手である必要もない。ノートでも良いし、誰にも知らせていない秘密のブログでも良い。でもどちらかというと、不特定多数の誰かに見られる場所に書くのがおススメだ。もしその誰かから何らかのアクションがもらえたら、またそれが自信に繋がっていくからだ。書くという行為は、自分が思っている以上に、自分自身を見つめなおすことが出来る。自分の中にある思いを外に表現することで、その言葉に力が宿り、自分にも影響を与えていく。今後、私は出来る限り頻繁に投稿していこうと思う。

自分に自信をつけるには、誰かから評価される必要もないし、誰かに勝つ必要もない。自分一人でいつからでも出来ることだ。ありのままの自分を認めることがなかなか難しい、という声も聞こえそうだが、ありのままの自分を好きになる必要はない。ただ、ありのままの自分を信じてあげてみよう。自分のことを本当に理解してあげられるのは、自分しかいない。よく頑張っている自分、なんだかんだ良いところもある自分、その自分を信じてあげてみよう。まずはそこから始めてみよう。

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