見出し画像

うつ病と闘う日記#3

こんばんは。うつ病と闘うどころか圧倒される日々ですが#3です。

日記とは言うけれど、日々のほとんどがうつに侵食されて特に書くことがないので私の思考とか経験とかを綴りたいと思います。


少し前に『14歳からの哲学入門』という本をちょっとだけ読みました。(本自体は14歳の頃に買いました)

第一章ではニーチェの思想について書かれていて、高2で受けた倫理の知識があったし、哲学科志望ということもあり、その部分が強く印象に残っています。

ニーチェの思想で欠かせないのが「神は死んだ」という言葉や「ニヒリズム」「末人」についてですよね。

私はその「末人」について自分と大きく重なるところがあると感じました。

私は考えすぎ(考える癖がある)なので「生きる意味、私が存在する意味」なんかをよく考えていました。

2年ほど考えた末、それらに対する私なりの答えは「物事に意味なんてない」ということでした。

物事の意味を問うのならば、「物事の意味を問う」ことの意味がなくてはならない。でもそれにも意味を求めて。。。そうしていると結論は一生出ないと思いました。

だからこそ逆に愚直に、安直に「物事に意味なんてない」と思ったのです。

この結論は「ニヒリズム」と重なります。そして「ニヒリズム」に陥った人間は「末人」と化す。私はニーチェが危惧していた未来の当事者になってしまったのです。

人生や世の中を灰色の目で見つめることを汚れた世界の正しい生き方だと思う一方で、フルカラーで描写したいとも思います。


私は今まで矛盾が大嫌いでした。合理的で論理的でないと体が受け付けませんでした。

でも最近では、矛盾が溢れた世界を受け入れられるようになりました。

矛盾が大嫌いだったのに、1番矛盾していたのは私自身だったからです。

大学に行きたいけれど勉強はしない。それって矛盾のお手本みたい。

私は矛盾を受け入れることでほんの1%だけ生きやすくなりました。

でもうつや他の課題を解決できなくてまだまだ苦しい。


22日(土)に父親の誕生日やその他のお祝いを引っ括めて、少し高いランチに連れて行ってくれるそうです。

ご飯自体は楽しみですが、両親と3人の空間は正直苦手です。何話したらいいかわからないし、でも無言で食べるのもなぁって感じで距離感が掴めない。

面談までの課題は全然進んでいないし、うつは悪化する一方だし、両親との関わり方も分からないけれど、まだ生きられそう。

相変わらず文章構成とか分からないけれど、まだまだ続けていこうと思っています。
ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?