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あの国民的アニメも共感性羞恥を感じます。

また「共感性羞恥」の話をします。

この感情を少しでも持っている方には、「わかるわ〜」という共感によってほんの少しでも安心感を与えられるといいなと思っています。

そして、理解できない方には「こういう感情があるのね〜」「ふーん、大変そう〜」程度で見て頂けると大変嬉しいです。


小さい頃、超国民的アニメ「ちびまる子ちゃん」と「ドラえもん」が少し苦手でした。当時「苦手」という意識はありません。ただ、見ていたら途中で変えたくなる衝動に駆られていました。(好きな方、こんなこと言ってごめんなさい)

なんでこんな気持ちになるの、みんな大好きなものであるはずなのに、私はなんで見たくないという感情が芽生えてしまうんだろう? と思っていました。どうやらこれは「共感性羞恥」というものでした。

これらのアニメは、私的に「共感性羞恥」の典型例だと思っています。

「ちびまる子ちゃん」で言うとまる子が、「ドラえもん」で言うとのび太が悪だくみを考え始める。そして実行。最初は上手くいくものの、結局その悪だくみは空振りして、誰かに怒られてしょんぼりとなってしまう。

例えば、「ドラえもん」では、のび太がジャイアンやスネ夫にいじめられる→ドラえもんに助けを乞う→ドラえもんの道具登場→道具を上手く使う→問題が解決すると、のび太は調子に乗って道具を乱用する→最初は上手くいくが、最終的にドえらい迷惑をかけたり、めんどくさい事になる。

というオチが定番です。

この、のび太の調子に乗るシーンが始まると、

「もうやめてくれぇぇえええ!!!!ドラえもんの!!!言うことを!!!!ちゃんと聞いて!!!!!!」

という気持ちになります。(笑) 

この、「誰かが情けなくなっている姿を見るのが辛い」というのは共感性羞恥の代表例ですね。


のび太が調子乗った後やらかしてしまうのは全国民知っています。それ以前にやらかさないとアニメが成立しないこともよく分かっています。

だけど、のび太が調子に乗った後に待っているのは、のび太の悲しい顔、誰かのショッキングな顔、誰かがのび太に怒る顔、ドラえもんが呆れる顔etc……。

誰かのマイナス的な感情の顔を見てその回は終了なんてしんどくないですか!?だから、「もうやめてくれぇ!」となってしまうのです…。

これは最近になって思うことですが、できることならみんながニコニコしていて欲しい…。現実ではそうはいかないから、せめてテレビの世界だけでは…と思ってしまう。 

こんな平和ボケな思考ですいません。

でも、今は克服しています。もしダメな時は「アッこれはダメなやつだ!」と瞬時に判断できるようになったので、その時は逃げたり消したり変えたり…できるのでもう大丈夫です。


ちなみに「サザエさん」はカツオがメインのお話は同じように苦手意識がありました。カツオも、まる子やのび太とキャラが近しいので…。一時期波平さんの「バッカもーーん!」が怖くて見れないこともあったなぁ(笑)

こう書くと、なんてメンタルよわよわなんだ私…、という自覚が芽生えて辛くなりますね。


そして、こうやって「○○が苦手」と書き続けるのもしんどいものです。けれど、同じように悩んでる人・悩んでいた人に対して共感し合い、お互いが少しでも心の救いになればと思っています。

なので、今後も少しずつ発信していきます。よろしくお願いいたします。

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