斜陽 太宰治
朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」と微かな叫び声をお挙げになった。
「髪の毛?」
スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。
「いいえ」
お母さまは、何事もなかったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇の間に滑り込ませた。
この文章から始まる太宰治の斜陽。
その近視的かつ唐突な文章の始まりに衝撃を覚えた。
太宰治の小説は結構好きで、いろいろ読んだ。
でも、僕はこの斜陽が一番好きだ。
落ち目の産業を斜陽産業と言ったりするが、この斜陽という言葉は、この本から来たらしい。
斜陽が、あまりにも売れた為、斜陽という言葉が、滅んでいくものをあらわすようになり、辞書にも載っている。
僕が斜陽で好きなのは、文章のリズム感というか緩急だ。
いきなり、手紙が入ってきたり、蛇の話をしようかしらとなったり、視点がグルグル変わって、読みづらさもあるかもしれないが、ぐんぐんと引き込まれていく。
こういう文章書けるようになりたいなと素直に思った。
そして、生き方に対する真面目さも好きだ。
話の内容は、とにかくぶっ飛んでいた。
本当にここに出てくる生き方は狂ってるし、理解できない、共感できないことがたくさんある。
よくこんな文章をかけるなと最初、怖さを感じた。
人はこのように生まれてきた以上は、どうしても生きらなけらば生きないものならば、この人たちのこの生ききるための姿も、憎むべきではないかもしれぬ。生きている事。生きている事。ああ、それは、何というやりきれない生きもたえだえの大事業であろうか。
僕はそんなに裕福な家に育ったわけではないし、毎日楽しく暮らしていたので、生きる苦悩というか、そんなの感じたことはない。
ても、ここまで、悩み抜くというは、一方で、人生に対して、真剣に向き合っていた結果ではないのか。
自分の生をまっとうしようとする。
そして、そこに苦悩する。
みんなは理解しないかもしれないが、僕は、この姿勢は優しいと思う。
主な登場人物は以下の4人
◆かず子
29歳の長女。かつては結婚していたが離婚、子供を流産した。
直治に恋する。
◆かず子の母
きちんとした作法ではないが、素で上品な女性。体調が悪い。
◆直治
かず子の弟。行方不明であったが、戦争から戻り、酒に溺れる。
一般的な生活に憧れるが、貴族だと差別され、苦悩に明け暮れる。
◆上原二郎
直治が尊敬する小説家。酒に溺れる生活を送っている。
話の内容についてはこちらの方がうまくまとめているので、参考にしてみてください。
https://bungo-matome.com/dazaiosamu-shayou-summary-and-explanation
じぶんで、したことは、そのように、はっきり言わなければ、
かくめいも何も、おこなわれません。
じぶんで、そうしても、他のおこないをしたく思って、
にんげんは、こうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、
にんげんの底からの革命が、いつまでも、できないのです。
恋と革命という言葉が、よく出てくる。
常軌を逸した発言と行動が随所にみられて、ついには全てを失ってしまう。
戦争という異常な事態がこうさせたのだろうか。
それでも、純粋に、自分の生をまっとうしようともがいている様に、ある人物の姿を照らし合わせてしまった。
ゴッホだ。
僕はオランダでゴッホに出会った。
衝撃だった。
彼の作品は荒々しさを感じるが、どこか繊細で、自分自身をすり減らしながら、キャンバスに向かい合っていた様が、まじまじと浮かんでくる。
ゴッホは狂人と呼ばれる。
自分の耳を切って友人に送りつけたり、最後は、ピストルで頭を撃ち抜いて自殺した。
でも、ゴッホはすごく優しかったと思うし、最後の最後まで自分の生に対して、バカ真面目に生きていたはずだ。
誰に認められなくても、自分の中から生まれてくるものに徹底的に向き合って、それを素直に表現する。
そんな生き方は苦しいと思う。
だから、最高に優しいんじゃないかな。
僕が尊敬する人たちは、みんな狂っている。
自分の内なるところと徹底的に向き合って、そこに絶望しながらも、それでも尚向き合い続けて素晴らしいものを世の中に表現している。
苦しいと思うけど、そんな人に憧れる。
そういう人が本当に優しいんだと思う。
徹底的に、自分と向き合って、向き合って、向き合って、表現したい。
きっとそれは狂ってると言われるかもしれないけど、僕はそうやって生きたい。
それが、与えらえた生をまっとうすることだと思う。
いつもありがとうございます!まだまだ未熟者ですが、コツコツやっていきたいと思います!