大学生最後の夜に、大学時代を振り返ってみた。
今日で3月が終わる。
今日も明日も、早朝に畑に行って、暗くなり泥まみれになって帰ってくる変わらない1日だ。
でも、明日から身分が大学生から社会人に変わる。
いつもはもう寝てる時間だけど、せっかくなので、自分のための備忘録として、大学生活を振り返ってみようと思う。
すごく焦っていた大学一年生
思い出すと、大学一年生の時は、すごく焦っていた。
医者になりたかったけど、受験に落ちて、浪人する勇気もなく、地元の大学になんとなく入学。
医学→生命機能って、なんとなく似てるなぐらいの感覚でよく調べもせずに入学した記憶がある。
だから、大学に入って、すごく焦っていた。
入学式の日もすぐ家に帰って、一人英語の本を読んでいた記憶がある。
入ったサークルも、英語を勉強するサークルと学祭の実行委員という真面目なやつ。
よくある大学生のウェーイみたいなノリには一切興味がなかった。というかそんな余裕がなかった。
高校で真面目に勉強せずに、結果を出せなかった自分を取り返したくて。
今でも覚えているのは、セレックという英語サークルの夏休みの合宿。
その夜、大学で目立ってる人たちの話になって、その人たちに共通していることはフットワークが軽いと先輩が話をしていた。
そこで、フットワークを軽くしようと決めた。
それを教えてくれた先輩は、この夏は、原付で九州一周するって言っていた。
だから、僕も旅をしようと思って、関西に一人旅をした。
それまで、バスも電車も乗ったことないぐらいの田舎に居たので、僕にとっては大大大冒険だった。
その1週間はとにかく、バスと電車に乗りまくった。
ビビってたけど、意外とバスと電車は、そんなに怖くなかった。
また、その旅の中で、美術館で出会ったアメリカ人と仲良くなって、一緒にランチをして、大阪城を散歩した。その外国人が僕と同じところで写真を持っていたことで仲良くなった。
今まで外国人と話したことなかったから感激した。
あんなに心配していたバスや電車に乗れたことや始めてあった外国人と仲良くなれたこの旅で一気に自信がついた。
#自信のハードル低すぎ
一年生の時に、初めてのバイトは、英数アカデミアという塾。個人経営の塾で、10人以上の中学二年生を相手に、集団授業を行った。
結構特殊で、教科書も自分で選ばないといけないし、時間の使い方も、授業の進め方も、全部自分で決めないといけなかった。
自由が故に、責任も大きかったけど、これがすごく楽しかった。
僕が受け持ったクラスが、前の先生が手に負えずに辞めてしまったヤンチャクラスで、最初の授業を見学させてもらった時に、学校の宿題をしてたり、先生を馬鹿にしたり、お菓子を食べてたり、とにかくめちゃめちゃだったのを覚えている。
そこの塾は2年間続けて、中学二年生が三年生になり、卒業するところまで担当した。
この春、高校を卒業したけど、今でも仲良しです。
#精神年齢が一番低いの俺かもしれん
勉強の方はというと、とにかく予習復習欠かさずやったびっくりするほど真面目な大学生でした。
難しすぎて、みんな履修を断念する、遺伝学という授業を履修して、単位を取れたことは、すごく嬉しかった。
他には、ものすごくあご髭を生やしている外国人を見て興奮してGoogle翻訳見ながら話しかけたり、
食堂で教授が来るのを待ち伏せして、偶然を装って後ろに並んで、一緒にご飯を食べたり、
ニュースで見た社長にメールをして会いに行ったり、今考えると、何かを得たくてすごく必死だったけど、痛いやつだった。
一気に広がった大学2年生
大学2年生になって、あれほど真面目に大学に行っていたのに、初めてサボることにした。
東北に行くためだ。
「あれから、5年経ちました」
とニュースが流れた時、ふと、僕は東北に行ってみたいなと思った。
調べてみると、九州からだと東北に行くのが高くて、なんとか、東京までなら安くいけそうだった。
東京も一人で行ったことなかったけど、とりあえず、東京行きの往復チケットをだけ予約して、そこからヒッチハイクで東北を一周して、東京に帰ることにした。
ヒッチハイクなんてしたことなかったけど、先輩がやっていたので、真似することに。
1週間前になって、たまたま知り合ったカナダ人が秋田の人を紹介してくれ他ので、とりあえずそこを目指すことにした。
#めちゃめちゃ無謀すぎた
東京に到着して、あまりの街のキラキラ具合に興奮した。
興奮しすぎて、一回だけ話したことあった上場企業の社長さんに、東京での感動をメールしたのを覚えている。
#今では絶対にできない
始めてのヒッチハイクはものすごく緊張した。
やり方がわからなかったので、交番に聞いてみた。
(僕)「あの、東北に行きたいのですが、、」
(おまわりさん)「あちらから、高速に乗れますよ」
(僕)「いや、ヒッチハイクで行きたくて、、」
みたいな会話をしたのを覚えている。
おまわりさんは戸惑いながらも、甲州街道からだと東北に行けることを教えてくれた。
ホワイトボードに<<甲州街道>>と書いて、道沿いに立った。
目立つのが恥ずかしくて、車が来るたびに、ボードを下げた。
目立たないと乗せてもらえないのに。
30分ぐらいして、無理かなと思って、<<ヒッチハイク やり方>>とググっていた時に、「あの〜」って声がかかった。
女性の方だった。僕がいるのを見かけて、車で戻ってきてくれたのだ。
感激した。
本当に、こういう方法で、人が乗せてくれるなんて。
その後も、親切な方が乗せてくれて、その日はSAで寝た。
東北一周の経験は、自分の中ではものすごく大きくて、毎日毎日が奇跡のようで、フワフワしていた。
北陸の沿岸沿いは、震災で跡形もないところがたくさんあった。
印象的だったのは、現地の人に連れて行かれた浜辺。
「ここは何百人の人が流された場所」
って紹介された。
行くと、サファーが元気に泳いでいて、こっちに手を振ってれた。
うまく言語化できないけど、5年経って、ここは前に進んでいるんだなって思った。
東北一周して、震災の現場を見たり、いろんな人と出会ったりして、いろんな糸に繋がれて今自分が生きているという感覚を強く感じた。
自分は生かされている。だから、一生懸命に生きよう。
ほんとに心の底からそう思えた。
帰ってきて、人との出会いをもっと作りたい。
そう思って、たくさんのイベントを企画した。
学生と学生、日本人と外国人、学生と社会人など。
人との出会いで、世界が広がり、感動したから。
他には、バイトとして、サニー建設という学生に営業をやらせる変な会社に入った。
その代表のひろしさんは、「人を動かす」をまさにそのまま全て実行しているようなかたで、このバイト先で、人との関わり方について、多くのことを学んだ。
また、バイト生たちもみんな優秀で、楽しくて、本当に、本当にバイトに行くのが楽しかった。
また、蒲原さんという大学の先輩と仲良くなったのもこの時期。
「飲みに行きましょ」って誘ったら、駅に連れて行かれて、蒲原さんがカンボジアで撮った写真を一緒に売らされた。
「一枚一円から自分で値段をつけて、買ってください」
なんと、2時間で、6000円ぐらい売れた。
1000円以上出したお客さんは、カンボジアについての話や、蒲原さんの話をしっかりと聞いてくれたお客さんたちだった。
この時、お客さんは、ストーリーにお金を払うんだなっていうのがわかった。
そうそう、市の代表として、成人式のスピーチもさせてもらったりもした。
あの時の動画を今見返すと、今の自分がいう言葉と全く変わってなくて、嬉しかった。根本はこの時から何も変わってないんだなって思えた。
動から静へと変化した大学3年生
この時期は頻繁に東京に行っていた。おそらく、4月から9月は週末は東京にいるっていう生活をしていた。
インターンや留学の準備等があったから。
東京でインターンをして、外の大学生たちと交流をするようになった。
東大とか、早稲田慶應とか、それまで雲の上の存在だったのに、一緒に仕事したりすることで、急に身近になった。
東京の学生たちのレベル感も大体わかったので、就活をやめることにした。
インターンを通して、今のままで、ある程度通用するという少しの安心感があった。そして、このままだとある程度で終わってしまうという危機感があった。
夏休みも終わる頃、ひょんなことで、パラオに行くことになる。
一緒に行った方が、パラオの大統領と付き合いがあり、VIP対応でパラオに行けたことが信じられなかった。
パラオの人たちは、笑いの沸点が低かった。
すごく豊かに見えた。
この豊さの正体が知りたくて、後にもう一度パラオに行くことになる。
このパラオ の滞在期間中に、ライフネット生命の出口さんの著書を読み、次人生を豊にするのは、「旅・人・本」だということを知った。
夏休みが終わり、これまでのように、外に出るのをやめて、もっと読書しようと考えた。
読書にすぐ飽きてしまう僕は、なんとか読書の習慣をつけたくて、500円玉と本だけ持って、携帯をもたずにスタバに通い詰めるということをして、無理やり本を読まないといけない環境を作った。
そしたら、いつの間にか本を読むのが好きになっていた。
歴史が面白かった。特に昭和史あたり。
僕が当たり前と思っていることは、誰かが昔作ったことだということを歴史を学ぶ事で感じることが出来たことがよかった。
G1カレッジという全国で、選ばれた学生だけが参加できるイベントにいけたのものよかった。
既に起業している学生やテレビに出ている学生など、本当に日本でトップクラスに活動している人たちがたくさんいて、すごく刺激になった。
そこで、ヤフーの執行役員の小澤さんが言っていた
「狂いなさい。狂いさない。そして、笑いですよ」
この言葉がすごく心に残った。
狂った4年生
この一年は大学を休学して、オランダに行った。
農業先進国のオランダでIT化した最新の農業を学ぶため
資金面は、トビタテ留学JAPANに選んでいただいたので、心配はしなくてよかった。
振り返ると、本当に狂っていたと思う。
オランダから日本に帰った時に、「人間的成長しました」ってだけは言いたくなかった。
とにかく、徹底的に技術や知識を身に付けたかった。
現地でインターンをしていたが、とにかくメモをしたし、とにかく質問に行った。
そして、隙間時間は読書したり、論文を読んだり、大体一日一食だった。
そして、とにかく、いろんなところに行った。
10か国ぐらいは行ったかな。
休日はほぼ美術館に居た。
オランダに行って本当に良かったと思えることの一つに、ピエト=モンドリアンの作品に出会ったこと。
彼の作品を見た時に衝撃が走った。
本当に洗練されていた。
狂っている、でも、この狂いに強く惹かれた。
あらゆることを試して試して、自分だけの表現方法にたどり着いた彼の作品はすごく美しかった。
そして、そんなふうに僕もなりたいと強く憧れを抱いた。
オランダにいて、効率的にインプットするために、人に教えることにした。
そのために、ライターになった。
マイナビ農業の連載を任せてもらえたのは嬉しかった。
自分で問い合わせして、面接してもらって、勝ち取った。
勉強をしながら、そのまま、それが記事になって、お金になる。
すごく良い環境を作ることが出来た。
連載を任されていたので、ネタがなくても、絞り出さないといけない状況を作れたのは、すごく良かった。
ここで、環境を作っておくことの大切さを身にしみて実感した。
とにかく狂ったように勉強していたから、当初予定していたオランダで学びたいことは半年ぐらいで大体納得してしまった。
そして、残りの時間を遊びに使っても良かったが、どうしてもパラオに行きたくなった。あの豊さの正体を知りたかった。
留学を途中で変更すると、計画が変更になるから、もう一度申請しないとけない。そして、この申請が通らなければ、200万円ぐらい返済しないといけなかった。
オランダにいたら、残り3ヶ月ぐらいはお金にも余裕があるし、楽しく暮らせる。最後の1ヶ月は丸々旅行する時間もある。
かたや、パラオに行くには、あまりにもリスクが多すぎる。
どうする?すごく悩んだけど、ここでこのままオランダに居るのは楽だし、絶対に楽しいけど、それじゃ甘いなって思って、厳しい道のパラオに行くことにした。
パラオ で過ごした日々は、刺激的だった。
予定通り物事が進まない。本当に日本とルールが違うんだなって思った。
パラオにいる人たちは、繋がりを大切にしていたように見えた。そして、よく人に与えていたように見えた。この辺りが豊さの正体なのかな。まだ、わかんないから、それを実践してみようと思う。
そして、パラオで出会った依田さん。本当に感謝してもしきれない。
依田さん家に2ヶ月ぐらい泊めてもらっていたけど、毎日ご飯が美味しかった。そして、依田さんの熱い思いには心が打たれた。
パラオは僕にとって、第2の故郷だなって思える。
また、依田さんのところには行く。
逃げて逃げた大学5年生
帰国してから進路に迷った。
心の中で、本当は決まってたけど。
帰ってきた時に、パラオで読んだ岡倉天心著の「茶の本」が、すごく心に残っていた。
「こんなに茶という小さい世界で生きている人なのに、ここまで世界について、人生について語れるのか」という衝撃。
小さい世界で生きて、深く物事を見たいな。そう心の中では思っていたのかもしれない。
でも、なかなか決心がつかなった。
就活をせずに時がどんどん過ぎていった。
そして、6月になって、数社受けた。
留学する前はすごく好きな会社だったところだ。
でも、いざ内定してみると、どこか心がもやもやした。
ピエト=モンドリアンや岡倉天心に影響を受けたはずなのに、それとは全く違う方向に進んでいる自分。
それがわかっているけど、なかなか踏み出せなかった。
本当に直前の直前まで悩んでいた。
プログラミングを始めたりもした。
デザインを始めたりもした。
林業をしたり、鹿の皮を鞣したり。
今思うと、全部逃げだ。
僕にとって、小さな世界を極めることは祖母の畑を継ぐことだった。
実は、大学一年生から、人に会う度に言っていた。
「おばあちゃんの農業をいつか継ぎたい」って。
でも、いざ、そこに踏み出せなかった。
会社員になって活躍する自分が安易に想像できたから。でも、そっちに行くと、自分がかっこいいと思う人たちとはかなり遠い道だ。
それを知っていたけど、怖かった。ずっと。
大学の研究発表が終わった次の日から、愛知の真野さんという方のもとで、1ヶ月農業研修をした。
この研修が一つ自分を大きく変化させた。
自分がやりたいことをまさにやっていた。
とにかく真野さんの農業は芸術的だった。
農業を始めて4年で三つ星シェフに扱ってもらう農家の考え方、姿勢には強く影響を受けた。
そして、農業をやるという選択肢がとても魅力的に思えた。
今日、大学最後の日だった。
備忘録として、学生生活をまとめてみた。
今、僕は、畑で、泥だらけになりながら、腰を曲げて、作業している。
これからどうなるんだろう。
でも、不思議と、不安がない。
きっとうまくいくだろう。
だって、大学時代、本当に、素敵な方々と出会えたから。
うまくいかないはずがない。
この5年間で得たことは計り知れない。
これからは、与える側になる。
ピエト=モンドリアンや岡倉天心のような小さな世界を徹底的に突き詰めて行った先に見える世界をどんなものだろうか。
大学は本当に本当に、充実してた。
バスも電車も乗れなかった田舎者だったのに。
さあ、学生は終わった。
今から社会人だ。
松本啓として、あたられたこの命を全力で燃やしきる。
いつもありがとうございます!まだまだ未熟者ですが、コツコツやっていきたいと思います!