《些細な記録》気にしないあの子
この前、眉毛を整えに行ったときのこと。とてもよく喋る楽しい性格のお姉さんが担当してくれて、いろいろお話していたのね。そしたらそれぞれの性格のお話になって。
そもそも私は、めっちゃ喋るタイプ。一人っ子っていうのもあって、いつも家での話し手は私だったからか、放っとくと常に話しているような子で。小学生とか中学生のときは、人の話も聞くけど、やっぱり「話し手になるのが大好き」みたいな、そんな子どもだった。
だけど大人になるにつれて、社会性とか「聞く」って大事だなって気づいたというか。「話してばかりの私って、いつか嫌われちゃうかも」と不安に思ったのもあって、話すのは好きだけど自分の言動をわりと意識するようになった。
その癖が今でもなんとなく続いていて、友達と話していてもふと「私、話し過ぎてないかな」って心配になるときがあって。なんだろう、もうひとりの私が私のことを第三者の目で見ている感覚?冷静に自分を分析しているみたいな。話している最中は気づかなくても、帰り道とかに思い出して、後悔するみたいなときもたくさんある。
そんな話をかなり省略して、サロンのお姉さんに伝えたのね。そしたら「え、絶対そんなに気にしなくていいですよ」って言ってくれて。「言われたらなおせばよくないですか?」って。
それ聞いて思い出したのは、高校時代の友達。私とは正反対の芯から楽観的な子で、よく一緒にいて、話すたびにずっと大笑いしてた。その子は、私が悩んでいても「気にしすぎ〜!」って言ってくれる子で、今思えば高校時代の私は、あの子の明るさに救われていた部分が大きかったなって思う。悩んだりしても、その言葉だけで前を向けたというか。
私は明るいって言われるけど、根っから明るいというわけじゃなくて。たまに、ちょっとしたことを気にしすぎたりちゃったりする。そんなときに「気にしすぎだよ」って言ってくれる人がいるのって、こんなにありがたかったっけってお姉さんに会ってひさびさに思い出した。同じような性格の友達といると、共感してくれたりしてすごく救われるけど、違う性格の友達といたときも救われることって多かったなって。
私は今、東京という街にいて、明るかったあの友達は関西にいて。頻繁に会える距離にはいないし、お互いのライフステージもまるっきり変わってしまって共通点も減ってしまったけれど、気にしないあの子にこの夏は会いにいこうかな。
*《些細な記録》は日常で感じた些細なことを、日記のようにラフに執筆していくマガジンです。
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