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実家に帰って思うこと

年末年始、約2週間ほど実家に帰省した。会社員時代から年末年始は、仕事をはやめに片付けて長めの休暇をとることにしている。フリーランスとなった今年も、仕事の調整をつけて、例年と同じくらいたっぷりと休んだ。

兵庫県の鉄道の通っていない交通アクセスの悪い住宅街に、私の実家はある。「新神戸駅から帰るのは大変でしょう」と、帰省した際は、いつも母か父が駅まで迎えにきてくれる。「別にいいよ」と断っても、頑なに「大丈夫だから」迎えにきてくれる。今回は、母が迎えにきてくれた。

父と母は、いわゆる高齢出産という年齢で私を産んだ。だから、友人の両親よりも歳は上なのだけれど、彼らはそんなことを感じないぐらい元気だ。母は、数年前に「ずっとやりたかったのよ」とダンスを習いはじめたし、父は、自転車で近隣を走るのが最近の趣味だという。私なんかよりもよっぽど元気だ。

そんなふたりは、私が帰省するといつも張り切っていろいろしてくれる。母は、「れなが食べたいと思って」といろんな料理をつくってくれるし、父は「でかけたいとこあるなら連れて行ったるで」と、車に乗せていろんな場所に連れて行こうとしてくれる。

一緒に住んでいるわけではないので、共通の話題も減り、会話は学生時代と比べて格段に減ったものの、私が家にいるというだけで嬉しいらしい。ふたりともずっと楽しそうにしている。私が大学の友人と飲んだ帰りに買ってきた1,000円ぐらいの日本酒ですら、「めっちゃいいやんか!」と大事そうに飲んでいた。

そんな父と母を見るたびに、「私、すごく無条件の愛を貰っているな」と思う。私から特に何をしてあげなくても、存在自体を愛してくれて、すべてを肯定してくれる。そんな家族がいる私は、本当に幸せ者なんだなと思う。近くにいるときは気づかなかったけれど。離れてみて当たり前のありがたさに気づくというのは、本当なんだなと思う。

どうしようもなく辛いとき、うまくいかないとき、自信がないとき、実家のことを想像すると涙が出てくることがある。実家に帰らなくても、父と母の優しさは私を支えてくれているのだ。

実家に帰ると思うこと。それは父と母は、私の心の拠り所はなんだということ。そしてそんな拠り所を作ってくれている父と母には、ずっと笑顔で元気に過ごしてほしい。

そんなことを記録しておきたくなった、土曜日の深夜。年末年始の記憶が薄れないうちに、温かい気持ちをここに記しておく。


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