リッテンバーグとその仲間たち
こんにちは。いつもお越しくださる方も、初めての方もご訪問ありがとうございます。
今回はシドニー・リッテンバーグについての個人的な考えをお話ししたいと思います。記事中には私個人の偏見や認識の誤りも含まれていると思います。その点のご理解のほど、よろしくお願いいたします。
シドニー・リッテンバーグ
シドニー・リッテンバーグについては以前に一度英語版のWikipediaの翻訳を行いました。
リッテンバーグはサウスカロライナ州生まれのユダヤ人で、アメリカの共産党のメンバーとなり、後に中国の新華社通信などで働きました。
1949年に中国共産党に招集されて中国共産党の世界的な宣伝を行いました。スターリンによる嫌疑により一度逮捕され、その後毛沢東の側近として活躍しましたが、再び逮捕され独房に入れられ、釈放後アメリカに移住しました。
毛沢東の翻訳チーム
1960年に、シドニー・リッテンバーグは中国共産党中央委員会から『毛沢東選集』の翻訳を求められました。この翻訳チームには9人の優秀な中国人と5人の外国人が選ばれました。この外国人は3人のアメリカ人と2人のイギリス人で構成されています。
アメリカ人はリッテンバーグを含めて3人、フランク・コーとソール(ソロモン)・アドラーで3人共にユダヤ人です。
アメリカ時代のフランク・コーとソロモン・アドラーはソヴィエトのスパイだったユダヤ人のハリー・デクスター・ホワイトと共に仕事をしています。彼ら3人はいわゆるルーズヴェルト政権に数多く潜伏していた共産主義者のメンバーでした。
イギリスはミハエル・シャピロとイスラエル・エプスタインの2人です。エプスタインはユダヤ人で、ミハエル・シャピロもユダヤ人と思われます。同じくシャピロ姓のシドニー・シャピロというユダヤ人もまた中国共産党のために働いていました。エプスタインについてはエプスタイン島で有名なジェフリー・エプスタインと同姓なのでユダヤ人というのが解ると思います。
中国を支援した共産主義者
毛沢東の時代に中国を支援していたユダヤ系の共産主義者は英米などから渡ってきたおり、スターリン主義者ではなく、トロツキストだったと思われます。
中国国民党と中国共産党の創設時にはソヴィエトからユダヤ系の共産主義者が指導のために中国を訪問したり、また中国の学生たちを彼らの指揮の下で指導していました。
モスクワ中山大学がその一つであり、スターリン東方労働者共産大学なども中国の学生たちを指導しました。中国共産党の結成にはユダヤ人のヴォイチンスキーを中心としたコミンテルン代表団が関わっていましたし、同じくコミンテルンのメンバーでユダヤ人ミハイル・ボロディンが国民党の孫文の政治顧問となっています。
スターリン政権以後、ソヴィエトの多くのユダヤ人が粛清されたため、ユダヤ人共産主義者の活動拠点はソ連の外に置かれることになり、その活動家としてリッテンバーグやコー、アドラーといったアメリカ人や、エプスタインやシャピロなどがやってきたということなのではないかと推測します。
晩年は、アメリカのドキュメンタリー映画『革命者』でウォール街のプロパガンダに協力しています。
関連記事
最後に
最後までお付き合いいただきありがとうございました。もし記事を読んで面白かったなと思った方はスキをクリックしていただけますと励みになります。
今度も引き続き読んでみたいなと感じましたらフォローも是非お願いします。何かご感想・ご要望などありましたら気軽にコメントお願いいたします。
Twitterの方も興味がありましたら覗いてみてください。こちらよりも少し口が悪いですけれど気にしないでください。
今回はここまでになります。それではまたのご訪問をお待ちしております。
世界が一日もはやく呪われた微睡の日常から目が覚めますように。
今後の活動のためにご支援いただけますと助かります。 もし一連の活動にご関心がありましたらサポートのご協力お願いします。