【解説】国際的秘密結社フリーメイソンの歴史|イギリス編
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今回は国際的秘密結社フリーメイソンの歴史(イギリス編)の動画を作成しましたの、その動画の紹介になります。もしかすると事実に反する内容もあるかもしれませんので、エンターテイメントだと思って、疑いの目をもって読んでいただければ幸いです。
国際的秘密結社フリーメイソンの歴史
解説:世界最古にして最大の国際的秘密結社、フリーメイソン。
今回はフリーメイソンがどのようにイギリスで生まれ発展していったか、その歴史について見ていきたいと思います。
聞き手:フリーメイソンというと、都市伝説や陰謀論が有名だよね。
世界を支配しているのはフリーメイソンだという話もあったと思うけど、
でも、さすがに信じられないかな。
娯楽として見る分には面白いけれど、陰謀論なんてどれも創作の話じゃないかしら。
解説:確かにフリーメイソンについて語っている都市伝説や陰謀論には眉唾物の話も多いかもしれないですね。
今回は陰謀の話ではなく、その歴史について触れていきます。
聞き手:フリーメイソンの歴史って、言われてみればあまり詳しくは知らないかな。
解説:中世に石工職人による職人組織として始まったフリーメイソンが世界最大の秘密結社になるまでの過程を少しだけ紹介できたらと思います。
まずはフリーメイソンについて書き記したイギリスの歴史的資料について解説します。
フリーメイソンの起源について書かれた最も古い資料はハリウェル手稿と呼ばれています。
聞き手:一体いつの時代に書かれたものなのかな。
解説:中世末期の1400年頃に書かれたものとされています。
石材を加工する職人である石工職人のことを英語でメイソンといいますが、
厳密にいうとフリーメイソンの歴史というよりは、石工職人の歴史に関する資料といった方がいいかもしれないですね。
イギリスに石工技術が渡ってきた歴史を記した最初の資料といった方が正確かもしれません。
他にもほぼ同時代のマシュー・クック手稿と呼ばれるものもあります。
ハリウェル手稿によると、石工技術はエジプトのエウクレイデスによって始まったとされます。
この技術がゲルマン系のサクソン人たちによって作られたイギリスのウェセックス王国に伝えられたのが最初だとされています。
マシュー・クック手稿にはもう少し詳しい内容が書かれています。
そこにはエジプトのエウクレイデスの知識がエジプトを脱出する前のユダヤ人に伝えられたとしています。
聞き手:中世末期に書かれたもの、しかも古代エジプトの話なんてほとんど信憑性がないと思うけれど。
解説:それはそう思うのも当然の事かもしれないね。
同じようにイギリスに石工技術が伝えられたという話もハリウェル手稿が書かれる何百年も前の話なんだよ。
聞き手:それじゃあ都市伝説とそれほど変わりはないんじゃないのかな。
解説:大事な点はこの資料の内容をフリーメイソンが自分たちの歴史の出発点としているという部分なんだ。
聞き手:どういうこと?
解説:フリーメイソンの起源の物語が正しいかどうかというのはまた別の話で、フリーメイソンがそういった物語を自分たちの権威化に利用してきた歴史があったという点が重要なのではないかな?
聞き手:なるほど、そういうことね。
じゃあ、フリーメイソン自体が都市伝説を作り上げた歴史があるって言えるのかもしれないね。
解説:そうかもしれないね。
フリーメイソンの都市伝説はフリーメイソン結社員と、結社員ではない人たちの両者によって築かれてきた歴史があると言われています。
それでは今度は中世のイギリスにおけるフリーメイソンの歴史について見ていきましょう。
メイソンという言葉が登場するのは13世紀の初め頃からでした。
砂岩や石灰岩を利用していたことがフリーメイソンという名前の起源といわれています。
砂岩や石灰岩のような軟岩を英語でフリーストーンと言います。
このためフリーストーンメイソンとも呼ばれました。
聞き手:フリーメイソンのフリーは石材の種類から来てるんですね。
解説:そうですね。
また、スコットランドでは封建的な拘束を受けていない自由な存在としてこの呼び名を重視しました。
中世のフリーメイソンは文字通り石工職人による団体でした。
フリーメイソンは徒弟、職人、親方の三つの階級があります。
当時の石工職人は親方である、マスターメイソンになるために多くのことを要求されました。
高い語学力と高い幾何学の知識、身だしなみを若い頃から身に着ける必要がありました。
また、傑出した建築デザインを提出しなければなりませんでした。
このため大工事を指揮するマスターメイソンは裕福で、人々から尊敬される存在でした。
そういったものを示す例として、修道院の院長と親しい間柄で、昼食を共にしていたとされています。
聞き手:知性と品性、そして技術を兼ね備えた羨望の的だったんですね。
解説:都市伝説でいわれる陰謀を張り巡らせた秘密結社の印象とはまるで異なります。
やがてフリーメイソンは宗教改革やギルドの廃止の影響で一時的に衰退しましたが、政府にとって石工技術は必要な存在だったためロッジは復興していきます。
更に政府だけでなく個人もメイソンを雇うようになっていきます。
この頃のフリーメイソンにまつわる話として、石工職人の間では聖人の日に、自分たちの守護聖人にまつわる神秘劇を催していました。
しかしこの神秘劇は政府により弾圧されてしまいました。
この神秘劇がフリーメイソンの儀式に関係しているのではないかと言われています。
聞き手:フリーメイソンの儀式ってどんなものなのかな?
解説:入会の儀式で目隠しをされているものなどが暴露本などのイラストや古い映像などでも知られていますが、儀式の詳細についてはベールに包まれている部分もあります。
それではフリーメイソンが、石工職人による組織から、貴族や富豪による組織へと変貌し、それぞれのロッジを管轄するグランドロッジが形成されていった歴史について見ていきましょう。
16世紀には設計の責任者が石工職人ではなく、建築家が行うようになりました。
このためメイソンロッジには建築家も入会するようになりました。
また16世紀の終わりにはスコットランドで議事録が作成されるようになります。
議事録が作成されたことで当時のフリーメイソンの活動の記録が後世に伝えられています。
更に17世紀に入ると石工職人ではない会員の入会が始まり、貴族や富豪のフリーメイソンが増え始めました。
聞き手:職人の組織から権力者の組織に変貌していったのが17世紀からなのですね。
解説:そうですね。
メイソンロッジは貴族から入場料を徴収して資金を得たり、富豪や権力者を勧誘することで、給与や待遇を良くしていったのではないかと考えられています。
当時のイギリスのフリーメイソンの構成を見てみましょう。
イングランド北部とスコットランドでは18世紀になっても依然として石工職人が多くいました。
一方、イングランド南部は石工職人ではない結社員が優勢になっていました。
そんな中、1716年にイングランドの4つのロッジが、グランドロッジを形成することに合意しています。
こうして誕生したロッジをプレミア・グランドロッジといいます。
最初のフリーメイソンのグランドロッジは、ロンドンとウェストミンスターのグランドロッジとして設立されました。
プレミア・グランドロッジが創設してすぐに、古い資料を元に現代的な規約が作られました。
聞き手:現在のフリーメイソンの基礎がこのころできあがったという事ですね。
解説:そうですね。
この仕事に着手したのがジェームズ・アンダーソンという人でした。
ジェームズ・アンダーソンは中世イングランドのウェセックスの王、アゼルスタンの息子が、フリーメイソンの最初の集会を行ったとしました。
しかしアゼルスタンには子供がいないことが知られています。
聞き手:それではこの話はアンダーソンの創作ということになるのかな?
解説:恐らくそうなのだと思います。
中世末期の記録に肉付けを行う必要があったと考えるのが妥当な線ではないかと思います。
その後、ウィリアム・プレストンがアンダーソンの仕事を元にイラスト入りの資料を作成しました。
フランスのフリーメイソンは十字軍のメイソンが聖地から秘密を持ち帰り復活させたとしています。
ドイツのフリーメイソンではテンプル騎士団の神話も加えられるようになりました。
聞き手:この辺りも事実ではなく、都市伝説と言っていいのでしょうね。
解説:創作もあると思いますが、もしかすると真実も含まれているかもしれません。
この時代になると、フリーメイソンのルーツも一つではなく様々なものがあったと思います。
聞き手:ルーツが一つではないとはどういう意味ですか。
解説:フリーメイソンに入会する人それぞれにそれぞれのルーツがあります。
石工職人ではないルーツを持った人々もこの時代にはフリーメイソンに入会しています。
そういったものがフリーメイソンの歴史に加えられた可能性もないとはいえないと思いますね。
聞き手:創作ではなく事実だといいたいのですか?
解説:難しいところですね。
スコットランドのロスリンに逃れたテンプル騎士団の話などがありますが、フリーメイソンの結社員からもデマであるとする反論が上がっています。
何が本当で何がデマなのか、今となっては結論を出すことが困難なことも多いと思いますね。
聞き手:十字軍とかテンプル騎士団とか、ほとんどが作り話のように感じるけれど。
解説:話が少しそれてしまいましたので、イギリスのフリーメイソンの歴史の話に戻ります。
17世紀のスコットランドにはエディンバラとキルウェニングに2つの主要なロッジがありました。
聞き手:エディンバラとキルウィニングってどこにあるのだろう。
解説:エディンバラはスコットランドの首都でスコットランドの東岸に位置します。
現在の人口は48万人です。
キルウィニングはスコットランドの西岸にありますが、こちらは現在1万6000人の小さな町です。
この2つのロッジを中心に、1736年のスコットランドで新たにグランドロッジが設立されました。
イングランドのプレミア・グランドロッジでは1723年になってようやく議事録が作成されました。
プレミア・グランドロッジでは年に一度グランドマスターを選出する総会を開くこと、また、年に4回の会合を開くことが合意されます。
やがてグランドマスターは組織の知名度を上げるために貴族が務めるようになります。
職人ではないメイソンが急速に拡大し、それに伴って反フリーメイソン団体や出版物も増加していきました。
フリーメイソンに幻滅した元メイソンもその秘密を暴露して利益を得ようとしたとされます。
今でいうフリーメイソン陰謀論を唱える人たちのはしりと考えると面白いですね。
聞き手:もしかしてこの動画もフリーメイソン陰謀論で利益を得ようとしているのかな?
解説:そんなつもりはないですけれど、フリーメイソンについて言及するとどうしても陰謀論として扱われるのは仕方がないかもしれません。
聞き手:どちらかといえば、陰謀論であることを否定することよりも、利益を上げようとしていることを否定して欲しかったのですが。
解説:それはともかく、フリーメイソンの規約は1723年にジェームズ・アンダーソンが編纂したものが承認されましたが、1734年になって、アメリカのペンシルベニア州のグランドマスター、ベンジャミン・フランクリンによってアメリカで再販されました。
聞き手:話をそらしましたね。
まあいいんだけどさ。
ベンジャミン・フランクリンってフリーメイソンだったんですね。
解説:フランクリンは在フランスアメリカ全権公使時代にフランスのフリーメイソンロッジにも入会しています。
現在のアメリカの100ドル札にその肖像が描かれていますが、フリーメイソンのグランドマスターだったことが理由かもしれませんよ。
聞き手:それは流石に陰謀論といわれても仕方がないのではないかな?
そういうことをいうから陰謀論だって言われるんですよ。
解説:次に、当時のイギリスのグランドロッジがどのような状況だったのか見ていきましょう。
グランドロッジは南ウェールズやチェシャーなどにも設立されました。
アイルランドでも2つのグランドロッジが誕生しました。
ヨーク市でもグランドロッジの独立性が認められ、活動していました。
聞き手:フリーメイソンのグランドロッジはイギリス各地に存在したんですね。
解説:そうなんです。
フリーメイソンがイギリス全土で影響力を持ち始めると、フリーメイソンの儀式の暴露が人気になりました。
またフリーメイソンに成りすます人たちも現れたと言われています。
このため、儀式と、互いを識別するためのパスワードの変更をする必要性がでてきましたが、結果的にこのことがロンドンの二つのグランドロッジの対立を生む結果となりました。
聞き手:儀式とパスワードを変更するだけで対立するんですか?
このことについては長くなってしまいますので、後ほど説明します。
そのまえに、イギリスで発達したフリーメイソンが、ヨーロッパ各地に拡大していった流れを説明します。
イングランド・アイルランド・スコットランドのロッジがヨーロッパに拡大し、フランスでもグランドロッジが設立されました。
1728年に創設されたと言われています。
聞き手:イギリスでグランドロッジが創設されてから、ヨーロッパ大陸でグランドロッジが創設されるまであっという間の出来事なんですね。
解説:そうなんです。
フランスのグランドロッジは1773年に分裂し、一方はフランス大東社というグランドロッジになりました。
ちなみにフランス革命期にフランス大東社のグランドマスターだったオルレアン公ルイ・フィリップ2世は現在陰謀論界隈で悪名高いイルミナティーのメンバーだったと言われています。
聞き手:そんな話今まで聞いたことないけど本当かな?
解説:これはフランス革命期の文献にも記されています。
聞き手:フランス革命期の革命家の中にフリーメイソンのメンバーが多くいたことは知っていましたが、イルミナティーと関係があるというのは興味深いですね。
本当かどうか知りませんけれど。
解説:現在のイルミナティーと呼ばれる組織と関係があるのかどうかはともかく、また、現在そういった組織が実際に存在しているのかしていないのかはともかく、イルミナティーの創設は1776年で、時代としては一致しています。
話が反れてしまいましたので話を戻しますが、イタリアではフィレンツェにイングランドのロッジが設立され、イタリアの貴族や知識人を惹きつけたとされます。
1805年にはイタリア大東社が創設されました。
イタリア統一運動のジュゼッペ・ガリバルディが運動後にイタリア大東社のグランドマスターとなっていることが知られています。
聞き手:それが本当なら歴史的な事件とフリーメイソンは結構深いつながりがあるように感じますね。
イタリア統一運動の英雄の一人、ジュゼッペ・マッツィーニもフリーメイソンですからね。
聞き手:アメリカ独立運動やフランス革命以来、当時の欧米の共和主義の革命家にフリーメイソンの会員が多くいたということなのでしょう。
解説:ドイツでは1740年にベルリンでスリーグローブスと呼ばれるグランドロッジが設立されました。
プロイセンのフリードリヒ大王が皇太子時代にフリーメイソンになり、ベルリンのロッジを認可しています。
ドイツでは1250年にケルンにグランドロッジがあったと考えている人もいますが、歴史的連続性は証明されていないと言われています。
聞き手:フリードリヒ大王もフリーメイソンだったんですか。
何か陰謀論もすべてとは言わないですが、満更でもない部分があるかもしれませんね。
解説:だんだん信念が揺らいできたんじゃないですか。
聞き手:いいえ、全然揺らいでないんだけど。
18世紀の革命前後のフリーメイソンの歴史を紐解くだけでも面白い発見があると思いますよ。
まあ、自分では積極的には調べる気はないですが。
解説:次にロシアの話にうつりましょう。
ロシアでも1732年にジェームズ・キースという外国人将校がサンクトペテルブルクのロッジのマスターになったとされています。
その後、彼の従兄弟のジョン・キースがロシアのグランドマスターに任命されます。
聞き手:18世紀にはすでにロシアにもフリーメイソンが広がっていたのですね。
解説:イギリスから遠く離れたロシアですが、1770年には14のロッジがあったと言われています。
聞き手:その数字を聞くだけでも、ロシアだけでなく、他の東欧諸国でもフリーメイソンロッジは広がっていたのではないかと思わせますね。
解説:ロシア帝国のエカチェリーナ2世の時代にフリーメイソンは弾圧され、息子のパーヴェル1世時代に一時的に緩和されましたが、再度弾圧されロッジは閉鎖に追い込まれました。
それでは先ほど後回しにしたロンドンの二つのグランドロッジの対立の話にうつりましょう。
ロンドンではプレミア・グランドロッジに対抗する古代派グランドロッジが誕生しました。
古代派グランドロッジはプレミア・グランドロッジを軽蔑の意味を込めて近代派と呼びはじめます。
古代派はローレンス・ダーモットが20年間にわたり大書記を務めていました。
彼らは近代派のプレミア・グランドロッジに加わらないようにイギリスの各ロッジに訴えます。
聞き手:イングランドの二つのグランドロッジが、古代派と近代派に分かれて対立したんですね。
解説:対立はイングランドばかりでなく、スコットランドでも起こりました。
キルウェニングが規約上2番目のロッジとされたことに不快感を示し、1743年にスコットランド・グランドロッジを脱退しました。
キルウェニングは1807年までグランドロッジから独立した立場を守りました。
聞き手:イングランドの例もスコットランドの例も、どこにでもある権力争いという感じがしますね。
解説:そうですね。
フリーメイソンは世界を征服するための組織と言われることがありますが、決して一枚岩ではなく、様々な時代で諸勢力が対立し、権力争いをしてきた歴史もあったんですね。
フリーメイソンの二つのグランドロッジが対立していた頃、1789年に勃発したフランス革命により、イギリス政府は彼らの陰謀に不安を抱くようになりました。
聞き手:フランス革命にフリーメイソンが関わっていたと言われていましたからね。
当時のイギリスの首相、ウィリアム・ピットは秘密の宣誓を行う団体をすべて違法であると宣言しました。
このためイギリスのフリーメイソンは自分たちが危険ではないことを示す必要がありました。
分裂した古代派と近代派のグランドロッジ、そしてスコットランド・グランドロッジの代表はピットと会談する運びとなりました。
当時の近代派のグランドマスターは皇太子だったのちのジョージ4世で、近代派はその代理としてモイラ伯爵を会議に出席させました。
聞き手:イギリスの皇太子がプレミアグランドロッジのグランドマスターだったんですか?
解説:そうですね。
フランス革命時のイギリス国王、ジョージ3世の弟のヘンリー・フレデリックが革命よりも前にフリーメイソンに加入し、のちにグランドマスターになっていることが知られています。
一方の古代派のグランドマスターはアソル公爵ジョン・マレーが会議に出席しました。
彼はまたスコットランド・グランドロッジの元グランドマスターでもありました。
会議の結果、フリーメイソンは違法団体から除外されることになりました。
皇太子がグランドマスターを務めていたわけですから、首相であるピットも手出しはできなかったのでしょうね。
聞き手:それにしても革命家もいれば王室の人間もいて、フリーメイソンはよくわからない団体ですね。
解説:フランス革命を主導した革命派のフリーメイソンも必ずしも全員が過激な共和主義者だったわけではないですからね。
ここまでを振り返ってみても、フリーメイソンが政治思想で統制された組織ではないことが分かると思います。
それでは対立していた二つのグランドロッジが統一していく話にうつりましょう。
やがて、プレミアグランドロッジのグランドマスターを、ジョージ4世の弟だったサセックス公爵が引き継ぎました。
同時に古代派の指導権が同じくジョージ4世の弟のケント公爵に譲られます。
対立していたイングランドの二つのグランドロッジが統合されることになり、ロンドンでサセックス公爵をグランドマスターとする連合グランドロッジが誕生しました。
聞き手:イギリスのフリーメイソンがイギリス王室に根を下ろしていくんですね。
解説:革命以前からその兆候はありましたが、革命後には完全にそうなったように思います。
彼らの父であるジョージ3世は、ピット首相や近代保守主義の祖として知られるエドマンド・バークと同じく、フランス革命の陰謀に対して危機感を抱いていました。
しかし、その子供たちがフリーメイソンのグランドマスターをつとめていったという事実には驚かされます。
イギリス政府の敵意を感じ取った当時のメイソンが、イングランド王室に自分たちの存在を委ねていった部分があったのではないかと思いますね。
また、フランスのフリーメイソンには無神論的な傾向があったと言われていますが、フランスの革命勢力のフリーメイソンと、イギリスのフリーメイソンとではその性質が大きく異なっていたとも言われています。
聞き手:最初はフリーメイソン陰謀論を聞かされるものと思っていたけど、歴史の流れからフリーメイソンを見るのも案外に面白いね。
解説:サセックス公爵が初代のグランドマスターになって以来、イギリスの連合グランドロッジはイギリス王室と深い関係にありますが、連合グランドロッジのグランドマスターが常に王室の人間だったかといえばそうでもありません。
ただ、初代サセックス公爵以外にも何人もイギリス王室の人間がいましたし、現在の連合グランドロッジのグランドマスターは、エリザベス女王の従兄弟である、エドワード王子であるのも事実です。
また現在のサセックス公爵のヘンリー王子もフリーメイソンではないかと言われています。
聞き手:そうなんですか。
確かにこうしてイギリスのフリーメイソンの歴史を追っていくと、不思議に思うほどのことではないですね。
解説:今回はイギリスを中心にフリーメイソンの歴史について見てきました。
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