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ドラえもんに、なる日

私は、ハエが集った海外の貧しい子達の写真や食事の写真を見せて寄付を募るやり方がとても嫌い。そりゃ貧しいかもしれないし救えるものなら救ってあげるべきだね、でも貧しい人は何も彼らだけではなく他の国にも沢山居る訳でむしろフューチャーされてるだけゆとりがあるのではないかと思ってしまうから。

更には、貧困だろうが裕福だろうが人に何かを与える事が正解であるかのようなやり口にも腹が立つ。人に迷惑かけることなく自身の命を必死に生きている人は、それだけでみんなに褒められても良いくらい素晴らしいと思う。地球は共同作業に共有スペースなんだから。

それなのに、余裕のある人が少し他人に何かを与えたらやれ素晴らしいやら心が広いやら、人間が出来てるなんて意見があったりしてもう笑っちゃうよ。どんなヒトだって人間から産まれりゃ人間よ。初めから出来てるわ。

なんか逆に格差を作ってるイヤらしい考え方だなと思うから、昔からそういうのにはあまり携わらない。


そんな私が最近ドラえもんになろうとしてる。近くにのび太が居る。正確にはのび太とは全く違い学力は私より上。でも属性的にはのび太の様に生き難いタイプ。

のび太を何とかしたい、そんな感情が湧き上がってきた。彼の為になるなら何か与えてみよう、困ってるときは助けよう、悄気てたら側にいてあげよう。彼を幸せな場所へ導きたいと思ってしまうドラえもん心理が私の中で急に芽生えた。


遂に私も人に情けをかけるイヤらしい人間になってしまったのか、のび太を見下しているのか、初めはそう思ったりもしたけどそれは大きな間違い…というよりも、私は何という自惚れ野郎なんだと気付き恥ずかしくなった。

よくよく考えればのび太は何かが全く出来ない訳じゃなく、大多数の人間と同じペースで理解し行動する事が苦手な少数派なタイプという個性を持ってるだけで、少数の個性が駄目扱いされるのはどうもおかしな話。

のび太は射的とあやとりが天才的で、例えばそれがもし将棋だったら藤井君の様にもてはやされ、もし水泳ならば世界一にもなれたかもしれないのに、その物事によってやっぱり駄目扱いされてしまう。

世の中は不公平ばかり。色んな事に目が行き様々なことを考えて自分なりに答えを出して生きる私は、起きてる時間は大体何かしらに腹が立ってる。その熱量や才能が数学的なものに向いていたならば、円周率割り切ってたかもしれない。ジャンルを誤った為にただの小煩いヤツでしかない訳だ。

のび太は怒らない。正しくは、時々怒るけど大抵は悲しみ自分を責める。やり返しても結果コテンパンにされて泣いてる。私のように人に対して怒るほど、彼は周りが見えていない。もしかすると彼の場合、他の人の2倍早く時間が流れてる感覚なんじゃないか。2倍速で観る映画は追い付けず必死で追うか諦めてボーッと眺めるか、のび太の人生はきっとそんな感じなんじゃないかとふと思った。理解して相手に怒るというのは、大抵の場合何手か先回りしないと出来ない。

自分はたまたま0.5倍速の人間に生まれたのかもしれない。そこまで生きるのが苦じゃない、腹は立つけど根底では人間は好きな方。時間がのんびり進む自分がのび太に情けを感じて手を差し伸べる、人を救う自惚れ野郎を気取っていたつもりだったのかもしれない。でも実際は自分がのび太から沢山の事を学んでいたなんて、本当に笑える話。恥ずかしすぎたからこれを書いてる。

本家ドラえもんだってのび太から様々なことを学んでる。ドラえもんは不良品だからこそ最高で、まさに人生と同じなんだよなって、先人が幾度となく言ってきたであろう言葉を私も言ってみる。映画のドラえもんは道具を使えない事が多々あってスネ夫辺りからはポンコツ呼ばわりされてるけど、その不安定な人間らしさこそがドラえもんの最大の魅力。


ドラえもんを目指す私は、のび太の為に何が出来るのだろうか…と日々頭を悩ませ考えていた。しかしのび太自身は、私など全く必要としていない風だから驚く。毎日0点でも勉強しないし寝るし、次の日には忘れてる。いやはや全く魅力的な人で目が離せない。

私がドラえもんになったとして、果たしてのび太が受け入れてくれるのであろうか…。ドラえもん修行、しながら人生勉強させてもらってる日々。まだまだ始まったばかりだ。

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