瓦礫の中から

「次の世代に残したいものは何ですか」
最近参加したとあるミーティングのテーマだった。

ピンと来なかった。
僕には、誰かに「残したいもの」ってあるのかなって。
僕には何かを残したい「誰か」はいるのかなって。

反対を考えた。
「僕が受け継いだもの」は何だろう。
それは両親が教えてくれたもの、ご飯の食べ方とか、掃除の仕方とか、生き方。
親戚の叔父や叔母が教えてくれた、それぞれの「優しさ」「厳しさ」「ユーモア」とか。
年長者が教えてくれた、学校のルール、職場のルール、遊び方のルール

僕自身その全部を受け入れられたわけじゃない。違うなって思ったものもある。
僕にとっては大事なものだけれど、他の人には取るに足らないものもある。

子育ての時に、自分がそうしてもらったように、子どもたちに教える。
仕事をしながら、自分がそうしてもらったように、次の世代に教える。
だけれど、僕が子どものころや新卒のころとは、世の中がだいぶ変わった。
僕が受け継いだものには、もう今の時代には「しまったおいた方が」よいものが多い。僕には大切だけど、新しい時代には用無しだ。

未来のためにできること。

整理整頓だなって思った。

きっと、これまでの学校のルール、職場のルール、社会のルール。
このままだと苦しい人が多いと思うから、
身近なそのルールの整理整頓が未来のためにできること。
子どもたちに残せること。

僕らが育った時のルールは、僕ら一人一人を形作る大切な要素だけれど、
次の世代には必要のないものがたくさんある。
でもそのルールがまだまだ残っていて、化石のように残っていて、
一歩間違われたら大切にされていて、もちろん諸先輩たちには大事なルールなんだけれど、それはもう役割を終えているから。

次の世代の人たちが、
新しい関わり方を、優しくしなやかな関わり方を、忙しなくない関わり方を作れるように。
僕らが育ってきたルールには不平等を生むものがあったから。
僕らが育ってきたルールには理不尽に他者を排除するものがったから。
僕らが育ってきたルールには他者との協力を阻むものがあったから。
それを残さないということが、未来のためにできること。
それを変えていくということが、未来のためにできること。

隣人と笑い合うために。
その隣人が誰であっても笑い合えるように。
いる場所のルールを良いものにしていく。

自分の手の届くところで、できそうな、
未来のためにできること。


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