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山の上ホテルとの別れを惜しむ

2月上旬の山の上ホテル訪問を振り返って。
目の前の大学に10年近く通っている身としてはたまに会う長い付き合いの友だちのような存在。あの時あの人とカフェでお茶したな、とか、天ぷらを食べにいったな、みたいな記憶を共有している。

ホテルは御茶ノ水駅の近く、大通りを折れて少し坂を上っていったところにある。都内にあるのに、どことなくひっそりとした雰囲気が漂っていて、アンティークな内装と相まって時間が止まってしまっているかのよう。ホテルはひっそりしているに限る。

三島由紀夫も次のようなメッセージを残している。
「東京の真ん中のこういう静かな夜があるとは思わなかった。設備も清潔を極め、サービスもまだ少し素人っぽい処が実にいい。願わくは、ここが有名になりすぎたり、流行りすぎたりしませんように」

山の上ホテルは、三島由紀夫、川端康成、池波正太郎などの名だたる作家が缶詰めになって、執筆活動に勤しんだことで知られている。文豪たちに倣っていつかセルフ缶詰したいという夢を抱いていたが、ついぞ叶わず。ホテルは泊まりたいと思ったら泊まりに行くべきという教訓を胸に刻む。

2月13日から休業するというニュースを受けて、駆け込みでの宿泊予約、レストラン利用のお客さんが押し寄せていたので、残念ながら館内は人で溢れて賑やかだった。今回の訪問も、同行者がヒルトップカフェの整理券を朝早くから3時間も並んで入手してくれて実現したものだ。

お目当てはヒルトップカフェ名物のプリンアラモード。固めのプリンの上に載っている苦味の強いカラメルと、バニラアイス、フルーツの盛り付けが最高のバランスの逸品。

プリンアラモード本体だけじゃなくて器とお皿もかわいい
光を反射するカラメルが湖みたい
素敵なカトラリー

向かいに座る人は苺とライチのパフェを注文していた。パフェを一口もらった。クリームを口に入れた瞬間に脳天を甘さが貫く。どこまでいっても甘い。それに比べてプリンアラモードの硬派なこと。甘味・酸味・苦味が見事に調和している。プリンアラモードの方がパフェよりもよっぽどパルフェだ。会話もプリンアラモードとパフェの違いについてのどうでもいい論議に。

甘いものを食べたら、真逆のものが食べたくなるよねということでビーフカレーとオムライスを追加注文した。食べすぎである。しかし、私たちには最強の免罪符「これで最後だし」がある。これでもかというくらいに思いっきり振りかざしてきた。

それにしても、食べ物って儚い。こうして食事処がなくなってしまうと失われる味があるというのもそうだし、つくるのにどれだけ時間がかかっても食べるのは一瞬だ。食事のたびに「食べ物は儚い」とばかりぼやいている。でも、だからこそ美味しかったときの記憶をちゃんと覚えておくことに意味があるんだろうなと愛読書の『生まれた時からアルデンテ』を読み返して思った。

腐るって優しさなんじゃないか。「生ものですのでお早めにお召し上がりください」。この言葉には神の福音に似た響きがある。未来も過去もない今、目の前にある食べもの。矛盾なく、美しいままで生き抜いて、終わる。だからこそ食は、刹那なほどに光り輝き、食べては絶頂だけを心に留めることができる。

平野沙季子『生まれた時からアルデンテ』p.57

食べ物は消えてしまう。もうここにはないもの。もう私のものではないものになってしまう。だから食べ物を消さないために自分の心がしっかりしてなくちゃと思う。そしたらちゃんと残る。

平野沙季子『生まれた時からアルデンテ』p.119

最後なので、ホテルの中をあちこち探検した。ホテルの歴史や建物の設計図が展示されていた。ホテルでは宇多田ヒカルの"hotel lobby"が脳内BGMになりがち。

古い建造物の階段はなかなかに蠱惑的
さよなら、山の上

またいつか再開することを願って!

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