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赤いゼラニウム

『推し、燃ゆ』を読んだ。


率直に言うと最悪。

最悪な気分。


私をこんな気持ちにさせるのはコンビニ人間と推し、燃ゆだけです。

自分の人生や思考を第三者の目線で見るという奇妙な体験は本当に気分が悪い。

共感できるを超えて、ほぼ私そのものなので。

共通点を挙げると枚挙に暇がないので控えます。

自分の未熟さが浮き彫りになるうえにやっぱり手放しにハッピーなエンドは描かれない。わかってはいたけど。


主人公のあかりは応援スタイルや境遇に差はあるもののかなり私に近いキャラクターなので私の人生の追体験ができますし、あかりの家族の目線に立てばかなり気を揉んだり苛立ちながら読むことができるのではないでしょうか。私の人生の追体験なんて誰がしたいんだよという感じですが。


「推しのいない人生は余生だ」という言葉が作中に登場しますが、私もかつて全く同じことを言っていたと友人に言われました。先に小説書いておけば芥川賞取れたかもしれない。


この本を読んだ友人や母親には「こんなような言葉、聞き覚えがあるなとずっと思いながら読んだ」「読んでる時にずっと一人の顔がぼんやり浮かんでた」などと散々な言われようでした。



実は読む前に私の推しこと(ジャニーズのファンは”担当”という言葉を用いているため推しというと少しニュアンスが変わってしまいますが。)櫻井翔さんの誕生日に寄せてブログを書いていました。

https://sakushochan.hatenadiary.jp/entry/2021/01/25/064457

一晩で書き上げたのでかなり散らかった文章ですが。

・・・怖ない?

この記事、本を読んだ後にめちゃくちゃ消したくなりました。

「なんか聞いたことあんな〜」のオンパレードで本当に消えたい。

あかりより文章上手くないけど、少し補足したい部分もあるけど。

まあ大体私が思っていることを詰め込んだつもりのブログでした。


あかりの言葉を借りるなら私にとって嵐と嵐の櫻井くんは背骨でした。

それがあるから歩いていられたし、今日まで生き延びてくることができました。

どうして私の背骨に彼らと彼がなっていったのかという話は今後したいと思っていたので詳しくは書きませんが。

こんな素敵な人を見つけて、選び取って、応援している私だけが唯一好きになれる私でした。

そういう私でなら強くいられるからSNSを介した友人や一緒にそれぞれの推しの話をできるような人としか関係をうまく築くことができなかった。


「櫻井くんを好きな私」でないとうまく人と関われなかった。



今は少し解消されつつあるけど、それも櫻井くんが変えてくれたから。

私の推していた男がたまたま私と相性が良くて陽の道にぐんぐん手を引っ張ってくれる人だったから、背骨がなくなっても鉄板が背中に入ってる。

違和感はあるし、自由は効かないけどギリギリ立っている。


本当にあかりみたいに推しが燃えたり、自分の解釈から外れた行動を繰り返し、全然言葉を尽くしてくれない人だったら私もああなっていたかもしれない。


きっと何かを生活や心の拠り所にして生きている人ならあかりの全部に共感することができなくても(私もそうだし)、覚えのある感情にどこかで出会うと思う。

あかりは推しのいる人の価値観の集合体みたいな生き物で、あかりは誰でもないし、一方で絶対に誰かの生き方の一部なんだと感じた。


推しのために働き、推しのために予定を開け、推しのためにきれいになり…


推しのためと言うけれど、推し(で自分を満たしてなんとかしがみついていく人生)のためなんですよ。結局。自己満足万歳です。


だから私もあかりも、自分の目で見たり聞いたりしたこと以外は考えない。


アイドルとして生きる彼を「解釈」はするけれど、それは推測の域を出ない。

「理解」は絶対にできないし、するべきことではないというのが私のポリシーです。


わかりたいと思うし、わかんないなーって頭を抱えたりもするけどわかろうとすることは無粋だと思うし、自分から背骨を手放す致命的な行為になると思うから。


なんだか上手く表現できないけど。

まだまだ自分のことを書くのは苦手なようなので、もう少し自分のことがわかって、人に読んでもらう心構えができたらまた改めてこの本を読んで感想を書きたいです。

とにかく私はあかりにものすごく近い人間だから、読後に「わーっ!!」ってなりました。(笑)

多分私の背骨に櫻井くんがなっていった話を書けた時が推し、燃ゆという本を読んだ自分の解だと思う。気長に待とう。


背骨が当たり前にあると思って生きすぎていたので反省してます。

他の部位でも代替可能な骨になっておいて貰えばよかった。

ていうか後戻りできるうちに人生そのものじゃなくて”生活の彩り”ぐらいの場所においておけばよかった。とたまに思うけれど後悔はしてないし多分生きてなかったので必然なんですよね。そう信じている。


私はSexy Zoneもある時から好きになったのだけれど、彼らは背骨があって、しっかり二足で歩けることを前提に生きていた私にとって「お気に入りの靴」みたいな存在でした。もっと楽しく歩ける魔法だし、歩けるからこそ履くのが楽しかった。もう歩きたくないな〜って下を向いた時に目について、もう少し歩こうかなあって思わせてくれるものだった。


だから今も、形も色も履き心地も大好きだけど。

履いても上手く歩けないことに気持ちが行ってしまったり、この靴を履いて散歩に出かけるのがすごくすごく楽しかったことを思い出して泣きたくなったりしてしまう。


まだ、彼らに背骨になってもらうほどの覚悟が固まっていないし、その未来も見えていない。


私は変に思い切りの良いタイプだから、ひょんなきっかけでビビッときてまた背骨にするかもしれないけど。


でももう、こんな燃えるような日々は過ごせない。過ごさない。


自分の背骨なんだから他人にその在り処を委ねたりしない。

頑張る。これは自戒です。


ピンク色の可愛らしい色味のハードカバー。

描かれているのは絡まった糸でギリギリ落下を回避する女の子。

いや、糸に絡められて動けなくなっているのかな。

みんなにはどっちに見えるんだろう。


そのハードカバーを外せば目に飛び込む青。

あかりの応援するアイドルのメンバーカラー。


炎は外側に揺らめく赤色よりも、青色の方が温度が高い。


装丁を見てタイトルから炎を私は連想した。

私の見ている推しは外側の赤い炎で、その奥に確実に揺らぐ青い炎を見ることはできない。だけど、青い炎に触れるためには赤い炎を侵す必要があるし、私の体温で炎の温度は下がって青い炎ははたちまち姿を消してしまう。


だからやっぱり私は赤い炎が揺らめいて時折目を覗かせる青色を大事に大事に抱えていく方が自分に合っているなって思う。赤い表紙をめくったら青が広がっていたからハッとしたけど、全部が青かったらドキッとしなかったし、意味を「解釈」はしなかったと思う。全部赤くても、全部青くても、多分私は炎を見てうっとりすることはなかった。オレンジや赤、青や白。様々な色みが揺らめいて、はっきりしない輪郭で揺らめいたり、急に焦点が合ったりするから私は眺め続けたいと思う。熱いから、綺麗だからいいというものではない。だから私はアイドルを推すことをやめられかったのだと思う。


ここからは完全に私が勘ぐりまくっただけの文章なので話半分に聞いてください。



グループのメンバー・明仁くん。

推しの誕生日、8月15日。

推しが「人間」になった。


このキーワードが集まっていくうちにゾワゾワしてしまいました。

どこまで練られているんだろう…


戦時中、日本のために戦って、天皇の言葉を何よりも信じることで生きてきた人々がいる。国のために生きて国のために死ぬことが生きていくための背骨だった人々が。それもまた信仰。


キリスト教や仏教、イスラム教。

これらの神様はもう生きてはいないし彼らが自らの言葉を覆すことは2度とない。

だから自由に解釈できるしそれぞれ近い解釈のもの同士で宗派がある。

信じるものの核は違っても、信じている対象は同じ。

そういった国が多くあるけれど、日本は違う。


昔から神仏習合だし今も無宗教の人がたくさんいる。

それでもみんな生きていくために「何か」を信じているはずだと思う。


「八百万の神」と古くから言い伝えられてきたように、日本人はそれぞれがそれぞれに何かに神を宿して生きている。

それを背骨にして、信じて生きている。


信仰というと大層なものに聞こえるけれど、誰もが生きていくための核や最後に自分をつなぎとめる何かがあるのだと思う。


結局人は何かを信じていないと生きていられないし、そうやって昔から人々は信じて生きてきたのだと思う。


だから何を信じて、それとどう共存して生きる?どう生きる?

あなたが信じるものって何?本当にないの?

正しい生き方って決められるもの?信じるものが違うのに?

信じないと生きていけない人が弱いって本当に?


いろんな問いかけを私は感じた。



だって他者と生きていくことが不可欠なのに自分だけを信じて自分だけで生きて自分を好きでい続けることって無理だと思うから。


お金かもしれないし、ペットかもしれないし、恋人かもしれないし、もう死んじゃったミュージシャンかもしれない。毎朝の散歩かもしれないし、東京という場所かもしれないし、大昔に先生にもらった言葉かもしれないし、私みたいにすぐ教典を上書きしてくる解釈と信仰で大忙しのアイドルかも。


それがあるから頑張れて、無くなったら仕事休みたいな〜って思うくらい落ち込んだり、他人に目を輝かせて話せる何かが絶対にあると思う。


私はそこにきっと神様が宿っているんだって思う。



あかりは行き過ぎているかもしれないけど、それを否定する権利は誰にもない。

私もあなたを否定したりはしない。


真の幸せと書いて、真幸くん。あかりの推し。

真の幸せは、自分にしかわからなくて誰にも渡しちゃいけないもの。

他人が定義することはできないもの。

私は恋愛感情や恋人を信じない。それがあれば毎日楽しいとは思えない。

だから結婚をしない。

恋人といることが何より幸せ。ずっと一緒にいたい。何があっても話せば元気が出る。

だから結婚をする。


それぞれの幸せは、それぞれの中にある。

そして幸せはきっと信じるものの中にあったり、信じたものの延長線上に落ちているものだと思う。



信じ続けられることって、私にとっては幸せになるための行為。





だから今日も推すことをやめないし、信じることをやめない。

諦めない。



(おまけ)

これは現存する最古の手帳。(2010年・10歳)

先日実家に帰省した際に発見した地獄のようなノートたちの一部。

嵐がテレビで出した東京の地名なんかを丸で囲んでいる。

他にもこの時期は自分用の中古のパソコンを買い与えてもらった年でウィキペディアを書き写していたり歌詞を五十音順にメモしていたりと情報収集にいとまがない様子。

1年後の手帳。

この頃には見た番組の発言をメモしたり推しへの感情をポエミーに綴った見られたら死んでしまうようなものがたくさん発掘されました。


無駄に筆まめで全部ノートに記しているので自分のオタクとしての思考の変化が手に取るようにわかってキモ面白いので帰省するとたまに時系列に自分の記録を見返してしまいます。まあなるべくしてなったという感じ。

とまあこんな感じで、あかりちゃん、だいたい分かる分かる〜!な本でした。



終わり

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