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願うは「涙の更新」。アビスパ福岡、あと2つの壁を超えて悲願達成なるか

アビスパ福岡と関わるすべての人たちにとって、いよいよ3つのビッグマッチが間近に迫ってきた。

・10月8日、天皇杯準決勝・対川崎フロンターレ(等々力陸上競技場)
・10月11日、ルヴァン杯準決勝第1戦・対名古屋グランパス(ベスト電器スタジアム)
・10月15日、ルヴァン杯準決勝第2戦・対名古屋グランパス(豊田スタジアム)

中2日・中3日と続く過密日程だが、国立競技場で開催される天皇杯とルヴァン杯の決勝戦に進出するために、何が何でも勝利しなければならない。すでに来季以降も長谷部茂利監督体制の継続が決まってはいるものの、J1リーグ内では金銭的に恵まれていないクラブにとって、明確な成果を手に入れられるチャンスはそうそう訪れるものではない。

そして個人的には「涙の更新」を期待したい。今回は恥ずかしながら過去に流した川崎フロンターレ戦での涙、名古屋グランパス戦での涙、そして最大の涙を振り返る。
準決勝の先にある「国立競技場の歓喜」で、すべてを更新してくれることを願っている。

国立競技場

過去の川崎フロンターレ戦での涙

少し古い話になるが、川崎フロンターレ戦での涙といえば、やはり1998年の「J1参入決定戦」だろう。このシーズン最下位に沈んだアビスパ福岡は、翌年から創設されるJ2リーグへの降格の危機に瀕していた。

それを避けるには、トーナメント形式で開催されたJ1参入決定戦を勝ち抜くしかなかった。初戦の相手は、当時JFLに所属していた川崎フロンターレ。
博多の森球技場で行われたこの試合を、当時小学生だった僕は父親と観に行っていた。この頃には「アビスパ沼」に頭まで浸かっており、残留に向け並々ならぬ思いを抱いていた。幼い頃の記憶のため試合の記憶は鮮明でないものの、通常のリーグ戦とは異なる異様な雰囲気だったことは覚えている。

一発勝負のこの試合、アビスパは2度リードを許す苦しい展開ながら、ラストプレーでのカウンターからFW山下芳輝の得点で追い付き、延長戦のMFフェルナンドの得点で劇的勝利。

その後発売されたVHS「神を見た夜」を含めて幾度となく観た試合だが、正直なところ喜び以上に「ほっとした」気持ちが強く、同点時、延長Vゴール時の歓喜は大きかったものの、涙はそれほど多くはなかったように記憶する。
なお、アビスパはその後2回戦で敗れたものの、J1最後の切符をかけてコンサドーレ札幌との第3参入クラブ決定戦に挑み、これを制して翌シーズンのJ1参入を決めている。

博多の森球技場(写真は近年のもの)

過去の名古屋グランパス戦での涙

名古屋グランパス戦の涙といえば、2017年の「J1昇格プレーオフ」決勝が思い起こされる。井原正巳監督(現・柏レイソル監督)のもと2016シーズンをJ1リーグで戦ったものの降格となり、2017シーズンは1年でのJ1復帰を目指していた。シーズン半ばまでは自動昇格圏にいたものの、最終的にはJ2リーグ4位となり、3~6位で争うJ1昇格プレーオフへ。

1回戦で東京ヴェルディに勝利したアビスパは、豊田スタジアムで開催された名古屋グランパスとの決勝に挑んだ。

豊田スタジアム

個人的には、この試合は仕事の関係で現地に行けず、自宅でテレビを通して見守っていた。正確にいうと、90分間を通して祈っていた。何かを信仰する人間でもないが、この試合では絡めた両手を離せず、ひたすらに正座しながら祈っていた。

後半13分、元日本代表のDF駒野友一が放ったクロスをFWウェリントンが頭で合わせ、先制に成功、かと思われた。その時、僕はテレビの前で咆哮を上げていた。
ところが、判定はウェリントンのオフサイド。当時はVARなどなく、副審の判定を尊重するしかなかったが、その後動画や画像を何度見返しても、オンサイドに見えてならない。

その後最後まで猛攻を仕掛けたが1点が遠く、0-0で引き分けて、リーグ戦の順位が上位であった名古屋グランパスがJ1昇格を達成した。
僕はといえば、試合終了の笛が鳴っても動けず、30分以上に渡って、悔し涙を流しながら「オンサイドやったやんけ」とつぶやくだけの屍と化していた。

過去最大の涙

川崎フロンターレ戦、名古屋グランパス戦を超え、個人的に過去もっとも涙を流したのは、間違いなく2015年の「J1昇格プレーオフ」決勝。ヤンマースタジアム長居で開催された、セレッソ大阪との一戦だった。

ヤンマースタジアム長居に設置されていた写真撮影スポット

井原正巳氏が監督に就任したこの年、アビスパは尻上がりに調子を上げ、自動昇格となる2位を懸けてジュビロ磐田とのデッドヒートを繰り広げた。最後の12試合を11勝1分、8連勝で駆け抜けたものの、ジュビロも勝ち点を落とさず、得失点差で惜しくも3位になりJ1昇格プレーオフへ回ることに。

1回戦はホーム・レベルファイブスタジアム(当時)で開催され、V・ファーレン長崎を相手にFWウェリントンのゴールで勝利。この試合、僕はまさかの友人の結婚式と重なり、スタジアムには行けなかった。ただ、結婚式が終わり外に出ると、時刻はまだキックオフ前。同じくサッカー好きの親友と、スーツ姿のままタクシーに飛び乗り、当時あったスポーツバー「バイエルン福岡」で声援を送っていた。
この試合は涙ではなく、引き出物の入った袋を持参するスーツ姿の男2人が試合終了とともに歓喜の声を上げ抱擁するという、シュールな図で終えている。

少し話は逸れるが、この日の友人の結婚式の招待状には「好きなキャラクターの絵を描いてください」という珍しい欄があり、僕は下手なりにアビーくんを書いて返送。結果として、描かれたキャラクターにまつわる引き出物が用意されているという、粋な計らいだった。新郎新婦はサッカーにはまるで疎い人たち。おそらく、いや間違いなく、他のキャラクターよりも苦労をかけたことだろう。

披露宴会場の僕の席には、どこで購入したのか2008シーズンのアビスパのトレーディングカード1BOXが置いてあった。長崎との試合後、自宅で開封した。
すると、なんと7年前のトレカのボックスから、今もなお背番号10を背負う城後寿選手の直筆サイン入りトレカが出現。

2008シーズンの城後寿選手直筆サイン入りトレカ

それもシリアルナンバーは「01」。かなりの奇跡が起こった。この出来事と相まって、この日のことは強く記憶に残っている。もちろん、現在も家宝の1つであることは言うまでもない。

左上には01/55の表記が

話は戻り、J1昇格プレーオフ決勝の相手は、シーズン4位だったセレッソ大阪。プレーオフ決勝は中立地での開催が原則だったにも関わらず、さまざまな事情によってセレッソのホーム「ヤンマースタジアム長居」で開催された。
この逆境に、アビスパサポーターは燃えに燃えた。現地まで駆けつける人が相次いだのだ。無論、僕もその1人。妻とともに、試合当日の早朝の新幹線で大阪へ向かった。

最終的に7,000人とも8,000人とも言われるアビスパサポーターが訪れ、五分五分に近い雰囲気を作ることに成功する。後半15分、FW玉田圭司に先制を許すも、後半42分にカウンターからMF金森健志、DF亀川諒史と現在もアビスパでプレーする2人で左サイドを崩し、グラウンダーのクロスに合わせたのはDF中村北斗。

この試合中、僕は飛び跳ね全力で声援を送りながら、斜め後ろでずっと試合に文句を言っていたおじさんに心の中で腹を立てていた。ところが、北斗のゴールが決まった瞬間、おじさんを含む周囲の全員とハグ。無論、アビサポであるという共通点のみで、みんな知らない人。気が付いた時には涙が出ており、止まらなくなっていた。

なんとか涙声で声援を送り続け、ピンチをしのいで1-1の引き分けで昇格を決めた瞬間、2度目のハグと号泣。
十分に歓喜に浸ってスタジアムを出てからも、涙が止まらなかった。

中村北斗を肩車する神山竜一。試合終了後の歓喜の時

僕はアビスパだけでなく、Jリーグ全体や日本代表なども大好きだ。ただ、サッカーの試合であれほどまでに泣いたことは他にない。

涙の更新を

ようやく現在の話になるが、川崎フロンターレ、名古屋グランパスとの2つの準決勝は間違いなく厳しい試合になる。両チームともJ1での実績十分の高い壁だ。ただ、今のアビスパは渡り合うだけの力は十分に持っている。

実際に、現在のリーグ戦の順位は川崎フロンターレを1つ上回り、第27節の名古屋グランパスとの試合ではあの日幻のゴールとなったFWウェリントンの得点で1-0の勝利を挙げた。十分に自信を持って挑めるはずだ。

この試合を勝ち抜けば、いよいよ決勝戦。前述したようなJ1昇格プレーオフの、ではない。「クラブ初」の3大タイトル獲得を懸けた、正真正銘のファイナルである。
準決勝に集中しろと怒られるかもしれないが、10月4日には長谷部監督も目標を優勝と明言。また、1996年にJリーグに昇格して以降、一切タイトルに縁のなかったクラブを幼少期から応援する身としては、ワクワクする気持ちはどうにも抑えられない。

準決勝はホームで開催されるルヴァン杯第1戦しか行けないが、決勝進出が決まれば現地に行くと決めている。W杯やクラブW杯などで南米のサポーターから聞いたことのある「仕事を辞めてきた」「家を売ってきた」という言葉の意味が、今なら分かる。タイトルが懸かる大会・試合とは、それほどまでに重い。
なんとか準決勝という壁を打ち破り、国立競技場でのうれし涙で、これまでの涙を大幅に更新をしてくれることを願っている。

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