プロを意識もしていなかった遠野大弥は、なぜここまで辿り着けたのか
1年目、プロとしては無名の選手が、開幕戦のスタメンに名を連ね、内容も結果も残す。
それ以上にワクワクするストーリーは、中々あるものではない。
デビュー戦
2020年、2月23日。
今シーズンのJ2リーグ開幕戦。
いきなり、小林伸二監督率いるギラヴァンツ北九州と、長谷部茂利新監督率いるアビスパ福岡が顔を合わせた。
5年ぶりの福岡ダービーということもあり、北九州のホーム・ミクスタはお互いのサポーターで超満員。
お互いのプライドがぶつかり合うこの一戦で、プロ1年目の21歳が初スタメンを飾った。
それだけでなく得意のドリブルで何度もゴール前まで侵入して客席を湧かせ、そして決勝ゴールという最高の結果までも残してみせたのである。
試合後にはこの試合を現地で観ていたJリーグ副理事長の原博実氏に、「この選手覚えていたほうがいい」とまで言わしめたこの男こそ、今回の主役。遠野大弥である。
その後の活躍
初めてのJの舞台で、瞬く間にレギュラーに定着してみせた。武器は瞬発力とスピードをいかしたドリブル、そして攻守両面に貢献できる豊富な運動量。
ただしなかなかゴールを奪えない試合が続いたが、第10節・甲府戦で終了間際に同点ゴールを奪うと翌節・東京V戦でもゴール。
それら以上にチームにとって大きかったのが、第17節・山口戦でのゴールだろう。右SB、湯澤からの低いクロスに頭から飛び込み、ダイビングヘッドで決勝ゴールを奪う。下位に沈んでいたチームはこの試合から12連勝を飾り、一気に昇格圏内へと浮上した。
もう1つのハイライトは前節・金沢戦。80分を過ぎてもなお2点のビハインドという厳しい展開から、84分にようやく田邉のゴールで1点を返す。その僅か3分後だった。
自陣でパスを受けた遠野が全速力で長い距離を持ち上がり、DFをしっかり引きつけてから左の田邉へ。
遠野はそのままゴール前に侵入。田邉が狙い澄ましてグラウンダーのクロスを送った先には、遠野がいた。
これに左足で合わせると、GKが触ったものの勢いを殺しきれず。ボールはゆっくりとネットを揺らした。
起死回生の同点弾を決めた遠野は雄叫びを上げたのちにチームメイトと抱き合い、そして空を見上げた。
その目には、涙がにじんでいるように見えた。
それだけ、大きなプレッシャーがのしかかっていたのだろう。
プロ初のシーズンで、FWの軸という周りからの期待。
昇格争いというこれまでに経験したことがないほどの緊張感。
終盤戦に入り、蓄積疲労とともにそれらに纏わりつかれているように見えていたが、自らの力で払拭してみせた。
ここまで9得点でチーム得点王。
J2とはいえまだプロ1年目なのだから末恐ろしい。
さらに驚くべきことに、実は遠野は昨年までプロを意識していなかった。
サッカー小僧がそのまま大きくなったような選手だ。「サッカーが好きで、上手くなりたい」それを突き詰めた結果、プロにまで辿り着いた遠野のこれまでを振り返る。
遠野大弥とは何者なのか
サッカー処、静岡の藤枝市出身で生まれ育った遠野だが、意外なことに最初に始めたスポーツは野球だった。しかしテレビで地元・清水エスパルスの試合を観たことでサッカーに興味を抱き、少年団に。
その時小4。遅めのスタートだったが、持ち前のスピードもあり市のトレセンに選ばれるようになる。
中学生になると、藤枝明誠SCのジュニアユースのセレクションを受け合格。だが1〜2年時は途中出場が中心で、なかなかスタメンに定着できず。
少年団で一緒にやっていたメンバーがスタメンで試合に出ているのに、自分はベンチに座っている。そんな悔しい思いをしたこともある。
それでも3年時には、レギュラーに定着してみせた。
その後、静岡でも名門の藤枝明誠高校に進学。ジュニアユースでは地元の選手ばかりだったが、高校には上手い選手が数多く、しかも県外からも進学してくる。
サッカー部員の数は200名を超えるほどに大所帯。遠野はCチームに振り分けられた。
Aチームに上がってもまた下に戻るということも経験したが、2年の終わり頃からコンスタントに出られるようになり、3年時には藤本一輝(2021シーズンより大分)らと3トップを形成する。
もちろん最大の目標は、最後の大会となる全国高校サッカー選手権大会。県大会決勝まで駒を進めた藤枝明誠は浜松開成館と対戦した。
先制したのちに逆転される苦しい展開だったが、ここから遠野が2ゴールを奪ってみせ、大逆転で全国の舞台へ。1回戦で敗れてしまいはしたが、全国大会にももちろんスタメンで出場した。
これらの活躍が認められ選抜チームである静岡ユースにも選ばれ、U-19日本代表相手にもゴールを決めている。
Honda FCとの出会い
それでも遠野は、前述したようにプロを全く意識していなかった。
大好きなサッカーができる環境さえあれば良く、大学に進学するつもりで準備を進めていたのだ。しかし、願書提出期限の1週間前にHonda FCからオファーが届く。
2得点を決めた、県大会決勝をHonda FCの関係者が観ていたことがオファーに繋がったのだった。
周りにも相談し、せっかくならばレベルの高いところで、とHonda FCに進むことを決断。しかしいざ入ってみると、そこにはハードな環境と想像以上のレベルの高さが待ち構えていた。
午前中は工場で自動車部品の製造ラインに入って働き、午後はサッカー部の練習。
しかもチームはレベルが高い。Honda FCはJリーグを目指していないこともありJFLにいるが、「最強のアマチュア」とも評されるチームである。
周りの選手を観て、試合に出られるようになるまで何年かかるだろう、とさえ思ったが、1年目から途中出場を重ねて徐々に自信を掴むと、スタメンの機会も増えていく。
2019年にはチーム得点王となる9得点でJFL4連覇に大きく貢献。JFLベストイレブンにも初選出された。そしてそれ以上に名を広めたのがこの年の天皇杯。格上のJリーグのチームを相手に、札幌から2得点、徳島から1得点。4回戦では浦和をも下し、ベスト8まで進出した。
この天皇杯で、プロ相手でもやれるなという感覚を持てたことで、ようやくプロという舞台を意識するようになる。
ついに、プロの舞台へ
この活躍を見て、いち早くオファーを出したのがアビスパ福岡だった。
その後川崎がオファーを出し、気持ちが川崎に傾いたのだがそれは仕方がない。川崎のサッカーが好きで、Hondaに入ってから遠野は川崎の試合しか観ていなかったのだから。
だが、川崎のオファーは2021年からという内容だった。
「1年は待てません」とはっきりと答えると、川崎は正式なオファーへと切り替え、今季はレンタルという内容へと変更された。
そして、最初にオファーを出していたアビスパでプロとしてのスタートを切ることになったのである。
そこからは最初に書いた活躍ぶりだ。
遠野大弥の凄さとは
なぜ、プロを意識もしていなかった遠野がプロ選手になれたのか。
遠野のコメントのうちいくつかを抜粋すると、そのまま答えになる。
「サッカーが好きだから自主練も苦にならなかった。」
「練習や試合がストレス発散。」
「プロになって24時間全てをサッカーに費やすことができる。それが嬉しい。」
好きこそ物の上手なれ。
簡単なようで、地道な努力が大前提となるため非常に難しい。それを子供の頃から体現してきた遠野の前には、自然と道ができてきた。
上記した、子供の頃からの話。そのほとんどが最初は上手くいかず、少しずつ状況を打開してきたものであったことにお気付きだろうか。
遠野は人一倍、それも楽しみながら、上手くなりたいと思いながら練習を積むことでここまできた。
2つの目標を達成するために
アビスパサポーターとしては残念なことだが、来季はおそらく、昨年から予定されていた道のりを歩む可能性が高いだろう。
だがその前に、残り3試合での大仕事が待っている。もちろん、アビスパを昇格させることだ。
遠野にはプロになってからの目標が2つある。
「アビスパを昇格させること」、「フロンターレで活躍できる選手になること」
自力で手繰り寄せられる1つ目の目標を達成することが、必ずや2つ目の目標にも繋がってくる。
そのために、そして今後の成長のためにも、Honda FCで指導を受けた井幡監督の言葉を改めて思い出してほしい。「お前はゴールだけ見ろ。」
それこそが、遠野が目指す「敵から怖がられるストライカー」への最短距離であるはずだ。
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