”寄り添う”とは。
私は誰かの何かになりたい。
少しでも誰かの役に立ちたい。
他者貢献欲が強い人間だ。
それは、幼少期、我慢こそが正義だと思って生きてきたのが大きい要因だ。
自閉症の兄、教育者の両親と過ごしていた時間は、常に兄が優先であり、模範解答を言わなければいけない環境だった。両親からしたらそんな風に思っていないのだろうが、兄の機嫌や両親の顔色を見て、勝手に、無意識に感じて、常に良い子を演じてきてしまった。そして我慢することが当たり前になり、本音を言えなくなった。
小学2年生の時、友達はみんなプールに遊びに行っていたけれど、私は親に「プールに行きたい」ということすらも言えなかったのを今でもよく覚えている。
我慢して、言いたいことが言えなくて、でも気が付いてほしい、温かい言葉をかけてほしい。そんな期待は悲しさが増すだけだった。
だからこそ、同じように悩んでいる人や困っている人をみるとなんとなくあの頃の私を見ているような気がして手を差し伸べたくなる。
誰かのために寄り添って生きていたい。
やりたいと言えなかった
こうしてほしいと言えなかった
できないと言えなかった
あの頃の私に
かけてほしかった言葉を
今、目の前の人へ送っている。
なんだか
悲しいような空しいような気がしなくもないが
それで目の前の人が一歩前へ踏み出せるきっかけになれるのであれば、私はどこまでもギブし続ける。
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「寄り添う」の定義はとても大事にしている言葉の一つ
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