【随想】授業はやはり対面にかぎる

 4月になり、新学期が始まった。大学ごと、大学院ごとに対応は異なると思うが、わたしの本務校、就中わたしが所属する法科大学院では「原則対面(のみ)」での講義がいよいよ復活した。学部もかなりの授業が対面となっているようだ。朝9時、1時限目の登校時には、多くの学生が検温と消毒のため列をなし、大学の活気が一気に戻ってきた感じである。
 対話が中心となるゼミや法科大学院の授業では、オンラインでは他者の議論に被せるように意見をいったり発言をしたりすることはご法度で、いつの間にやら指名されなければ発言のないお行儀のよい授業となってしまっていた。もちろん、それはそれで必要な節度なのかもしれないが、自由闊達な議論とは程遠く、「議論の学問」ともいうべき法律学の醍醐味が半減してしまったことが残念でならない。
 この2・3年、ご多聞にもれず、わたしもオンライン(同時配信)の授業を続けてきたわけだが、終わってみると、オンラインの授業は、対面のそれよりも思ったより教育的効果が上がらなかった。目の前の学生の多くは映像を切っており、表情が見えないままイニシャルの文字に向かって話をする。すると、どんな講義になるかと言えば、どのテキストにも書いてあるようなわかり切った話に終始し、実践や経験によって得たノウハウやコツのような話は自ずと控えてしまう。もちろん、こちらが不慣れなこともあるだろうが、試験の結果だけではない、各学生に割り振られた報告(レポート)などにおいても、十分な理解がなされていない点が気になった。確かに、授業だけのせいにしてはいけないのかもしれない。学生たちが自主的に集まって行うゼミも制約を受け、学生同士の議論の時間もなかったという。
 やっと日常が帰ってきた。いまだ感染の増加に留意するのはもちろんだが、停滞した教育環境が日に日に活性化していくのをみるのは、とても喜ばしいことだ(2021年4月5日記)。

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