父と娘
私にとって父親は、偉大で、尊敬できて、大好きな存在だ。
毎日、私が起きるよりも早く出勤して、眠くなる頃に帰ってくる。そんな日々がいまはもう遠くて、愛おしくて、悲しい。
父との日々
平日は仕事で忙しい父。疲れている中、休日はいつも遊んでくれた。
キャンプやサイクリングなどに連れて行ってくれる大好きな父親だった。
一番の思い出は、ピューロランドへ連れて行ってくれたこと。
キティちゃんが大好きだったので、すごく嬉しかった。
もちろん、ダメなことは叱られることもあった。それでも、落ち込んだ時は、私の話を最後まで聞いてくれる、優しい父だった。
父の病気
父に病気が発覚したのは小学3年生の時。
家族全員居間に集合し、「癌なんだ」と告げられた。
その時は、癌=死だったので、死んでしまうんだと思い込んでいたが、後からわかったのは、末期の癌だということ。その時には、どうすることもできなくて、ただ、緩和療法をするしかなかったらしい。
それから父は、病院へ入院し、なかなか会えないことに寂しさが募った。
母も病院に泊まり込み、小学3年生には耐え難い2ヶ月間だった。
それでも一時的に退院できることとなり、5日間だけ家に戻ってきた。
父が大好きだったパチンコへ行き、景品だと言って私が好きな映画のDVDをもらった。後から聞いたら、景品ではなく、買ってきたらしい。勝てる気がするから1万円交換しようと言って母の財布の1万円と父の財布の1万円を交換して行っていた。どうでもいいことはよく覚えている。
入院日の前日、近所のうどん店へ行った。しかも三百円で食べることができる安いうどんだ。こんなうどんが、父との最期の外食になるなんて思いもしなかった。
父が死んだ日
次の日父は入院し、また元の生活が戻ってしまった。
毎日朝7時に母親に起こされ、学校へ行き、帰ってきたら、宿題をし、友達と遊ぶ。
その日、いつも通り、母親に起こされた。
「後5分〜」と言ってなかなか起きることができないのもいつものことだ。
時計を見たらまだ5時だった。
まだはやいと思って、二度寝しようとした時、母に叩き起こされた。
「お父さんが死にそうだから早く準備して」
まだ起きて間もない頭で理解するのは難しく、それでも、すぐさま準備して、病院へ向かった。
急いだが、間に合わなかった。
ピーと、父に繋がれている機械からなる音。消毒液のツーンとした匂い。
父に何度も呼びかけた。
「きたよ。起きて。私だよ。なんで返事してくれないの。」
何度も何度も呼びかけた。
返事はなかった。
それから
それからのことは、正直よく覚えていない。
あっという間に葬儀が終わって、私の中に残ったのは、空っぽの心だけ。
悲しいのか、寂しいのか、わからない。
ただ、身近な人がいなくなってしまった。
幼い頭で考えられるのは、それが精一杯だった。
今になって
それから何年の時が経ち、私の将来の夢は、幸せな家族を持つことになった。
今はそれが叶えられたが、また失ってしまうのではないかと、怖いこともある。
だから、今度は、大好きな人に大好きだと。愛している人に、愛していると伝えていきたい。
私がもしいなくなってしまっても、後悔しないように。
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