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おじいちゃんが3人

はじめてnoteに投稿します。初投稿がこんなに愚痴愚痴な内容で申し訳ないのですが・・・

主人の両親は彼が6歳の時に離婚しています。車で10分くらいの場所に主人の実母と継父が住んでおり、20分くらいの場所に主人の実父、継母が住んでいます。主人は20代前半まで、お母さんと継父とずっと暮らしていました。主人の実父には継母との間に出来た、主人にとっては異母妹がいます。去年結婚して、これまた車で15分くらいのところに住んでいます。

というわけで、私の娘二人には、主人の継父、実父、私の父と3人の「おじいちゃん」がいます。

10年以上この家族と付き合ってきて私が感じる共同親権の限界、父親の責務、家族の在り方について書いてみたい思います。

さて、オーストラリアにおけるクリスマスの位置づけは「正月」です。家族と過ごす、とても大切な日です。多くのオーストラリアに住む方々が、10月くらいからクリスマスのプレゼント準備を始めることが多いと思います。

そして私は毎年この時期になると憂鬱になります・・・。

クリスマス当日は当然主人の母とステップファザーの家に訪問するのですが、翌日のBoxing Day(元々は「プレゼントを開封する日」という意味合いがあったそうです。ボクシングする日ではない)には主人の父とステップマザーの家に訪問するのが通例となっています。

この主人の実父と、主人家族(ここでは主人、主人の母、義妹を中心とした養父母家族グループとする)の攻防が私を疲弊させるのです・・・。毎年なんだかんだ訪問するにも拘わらず、主人と義妹は果たして行くのか行かないのか、何時に行くのか、何時に帰るのか、延々と決まらない決まり事を繰り返すのです。

はっきり言って、主人家族は主人の実父を嫌悪しています。もともと酒癖の悪さとモラハラで離婚しているため、主人家族の実父に対するリスペクトはそれほどありません。ただし甲斐性が無いのではなく、テルストラに40年近く勤め上げた所謂日本のサラリーマンタイプです。

そんなちゃぶ台返しの実父、娘(異母妹)を得た事により溺愛父に変貌し、彼の財産の全てを娘に捧げる勢いで投資し続けています。そのため、主人家族の嫌悪が加速しているのだと思われます。

ただし実父は「僕は一生懸命君たちをサポートしようとしているんだ」ということは常に言っています。しかしながら娘溺愛の実父は、外孫(実孫だけど)にさえも目もくれないのです。そこが主人家族が一番気に入らないところなのだと思います。

これに関しては、私も???と首をひねるところが多々ありました。まず前述のとおり車で20分くらいのところに住んでいます。今までも娘たちがデイケアや学校で不在の時にわざわざ誕生日プレゼントを持ってきて会わずに帰ってしまうようなことがありました。今年はなんと郵送でした。車で来たほうが早くて安いんじゃあないのか・・と思いましたが、そこまで顔を合わせたくないということなんでしょうか。

ちなみに届いた日は長女・次女ともに雨で、残念ながらおもちゃの箱も雨でぐっしゃぐしゃでした・・・。

こんな実父ですが、それでもクリスマスのBoxing Dayは主人と義妹に会う事が当然の「義務」と感じているようです。共同親権を得ることにより、この義務の枷が子供たちをも悪い方向に引っ張っており、また実父も思いやりをかける振りしか出来ない「義務」に縛られているような気がしてなりません。

私自身もバツイチなのですが、子無しで離婚しているので、親権について深く考えたことはありませんでした。ただ、主人の家族が共同親権で無かったらどうなったのだろうか?あえて関わらないで第二の人生を送る事ができた実父、実父を存在しないものとして排除した生活を送れたかもしれない主人と義妹。そんな人生もあったのではないか、と考えてしまいます。

まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが、オチはつかなさそうです・・。

これから吐き出すために色々書いていこうと思います。10年近く積もった思いは洒落にならないです。

ただこの記事の根底にある、「なぜこんな思いあえないのに『父親・祖父』『子供・孫』を演じなければならないのか」ということを常に感じながら書いていくつもりです。









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