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関わりと自分らしさ

いつでも人間関係で悩み続けている。

学校での友人関係、恋愛についての関わり合い、家族、バイト、趣味全ての人間関係に悩みがある。
その問題の根本的な理由は、自己をどこまで他人にさらけ出すかなのではないかと思う。

私はたぶん発達障害寄りの人間だ。なのでついうっかり人を傷つけてしまうことがある。
仲が良くなると、うっかり酷いことを言ってしまう。
だらしがないし、忘れ物は多いし、引っ込み思案の割に出たがりな面もあるし、自分の価値観でしか物事を考えられない。そういうところが人に迷惑をかけていると自覚している。が、直そうと思ってもどうにもならない。

私は、自分を偽装してめんどくさくない人のように振る舞うことが一番関係を拗らせないで済むと思うようになった。
そうすると、段々人との関係が薄くなり、相手に対する私の評価と、私自身が見る自分の評価がかけ離れていった。相手の中に本質的な自分はいない。それは人間関係を築いているといえるのだろうか?

大学二回生になって、過大評価されすぎた私は、私のいない会議で部長になることに決まった。初めは全く意味がわからなかったが、どうやら他の同期の部員がやりたがらず、結果的にあまり会にも参加していない私が押し付けられたようだった。
部員は協力的ではないし、自分を作ってまで人と関わることに苦痛を感じていたのではやく辞めたかった。私は断ることさえ出来ず、悩みすぎて毎日泣いていた。あまりに病んでしまったので心のクリニックに通った。
それをきっかけに私は自分が発達障害ではないかと疑うようになった。

精神科医の
「自分の意向を相手に伝えることを心がけなさい」という言葉で私は自分らしくいようとできる限り、思うままに振る舞うことにした。
今振り返ればそれも間違いなのかもしれない。

部活を辞めた私はもっと意義のあることがしたいと、自分が興味のある写真関係のバイトを始めた。ブライダルの仕事は、職場の人が優しくしてくださって(ブラックではあるけれど)いい関係を築けそうだと思った。
しかし、私はそれに甘えすぎて、自分らしく忘れ物を何度もして、だらしなく仕事の予習をせず行って失敗し、社長に対してパワハラでやだなーと思っているのが伝わる言動をした。一番最後のは言葉で指摘をせず、匂わせたことが自分でもいやらしく思う。
更に、軽い気持ちで入社したいといいキープした挙句、大学院に行こうと思ってて...と断る思わせぶりな態度をとってしまった。

私は自分らしさを誤解していたのだと思う。我儘に生きることが自分らしさなのか?今の自分にとってそれが「らしい」気はするけども。

偽装してめんどくさくない様に振る舞う私の自分らしさはその場が丸く収まる答えを促すことだったと思う。
対して今の私は自分らしさは客観的に見ると周りに迷惑をかけてもありのままにいきることだと思われかねない。

私が思うに、関わりの薄い他人に対して期待するのは辞めたほうがいいのではないだろうか。つまりそれはバイト先の関係であったり、一部の友人関係であったり、自分が仲良くなろうと思わない人に対して自分の完全体を受け入れてもらおうと思わないことにある。

自分は表現活動を行っているので、その分を芸術という媒体に昇華させればいい。
そして、それを知らせることにより、間接的に私がどういう人なのかをなんとなく感じるくらいの方が言葉が少なくていい気がする。

しかし、必要最低限のやり取りや、要望を訴えることを絶対にしなければならない。自分のやりたいことに対して受け身になってしまうのが一番問題なのだ。
例えば誰かとどこかにいく計画を練ることや、仕事で働きやすい環境を自分で作ること、それに付随するやり取りは自分からしなければならない。相手の配慮はもちろん必要ではあるが、自分のやりやすい方法であることが最も重要だ。それを相手にも伝えて納得してもらう義務がある。

しっかりと私をもって、相手との円滑な関わりを持つ。その方法をきっちりと把握して、柔軟に相手に配慮することが自分らしさなのではないかと思う。


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