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先生の凧、風に乗らず

先日、初めて私が通ってる芸大でTAを担当する授業があった。
TAはTeacher Assistantの略で、先生の補佐的な役割をする。

私が受け持っているのは学部2年生の子らで、二つの班に分かれて展示空間を作るといった自由な授業だ。

グループワークは私の補助がなくても円滑に進んでいる。
一つのグループは壁を桃色に塗り、もう片方は床を白い砂で覆うらしい。
一体どんな空間で、どうそれが作品に影響を与えるのだろう。
合評が楽しみだ。

振り返ってみると、自分の学部の時のグループワークは比較対象にならないくらいに最悪だった。

大学1年生の頃、各班に分かれて凧を作るという課題が与えられた。

私達の班は消極的な班だった。 
2、3日話し合っても全く良い案が出ない。
私が必死で絞り出した「凧を上げるのと揚げるのとでエビフライはどうだろう?」という案はう〜ん、どうだろねぇ...という声が出るのみだった。
今から考えるとそんなおもしろくもない駄洒落をよく言えたな、と思う。

この案がドン滑りしたことで、もう何でも良いかぁ!という気になり、
何やかんやあって、先生の顔を描いたTシャツ型の凧を作ることが決定した。
なぜ先生の顔か。なぜTシャツか。全く経緯を覚えていない。ただ皆なんでかいいじゃんいいじゃん!と盛り上がってたのは覚えてる。
振り返ると何も良くなかった。

制作に入っていくと、意外とTシャツの形は難しいことが判明する。
大中小と3連になった立体的なものを作る予定だったが、時間的に厳しく、大以外は平面にすることになった。

たまに先生らが見に来ても、我々の班にはほとんど触れることはなかった。
他の班には協力的で、「この形にするにはこういう道具で...」とか「この素材を変えてみたら?」とか言ってくれる。が、教室の隅にある我々の作業スペースはチラッと見るなり眉をひそめて足早に通り過ぎるだけ。
まぁでもそりゃそうだろう、でっかい紙に自分の顔面が描かれていく事に対して助言することなんかできないもんな。


何とか先生凧は完成した。
大きいのが油画のライオンみたいな先生の顔。中くらいが日本画の優しいおじいちゃんみたいな先生の顔。
小さいのだけは、なんでか全身で、グレーの髭が長い油画の先生がマイケルジャクソンみたいに体を斜めにして静止している。

後日、全班集まっての合評が行われた。
発表の時、皆下を向くばかりで何も言わない。
恥ずかしさを堪えて、ただ時間が経つのを待っているようだった。

確かに、描かれた先生も私たちを訝しんだ表情で見ている。
でも、あんなに一生懸命作って、皆で協力して頑張ったのに、合評で忍びなさそうにしている態度がなんだか許せない気持ちだった。
今そこで自分らを否定したら、今までの努力がなくなる気がして、私は堂々とありたかった。

先生陣の質疑応答が始まる。
呆れを含んだ質問に私は間違ってないんだぞ!と言わんばかりに答えていく。
しかし、私は責められると後先考えず振る舞ってしまうクソな仕様がある。
今回もその場凌ぎに「飛ばしやすい形だと思うんです!」とか言ってしまった為、凧が上がらないといけない空気にしてしまった。

合評が終わり、全班で凧をあげに行く。
せめて風に乗って、先生達が空を泳いでくれたら、私らはちゃんとした凧を作れたと見なされる。プレッシャーだ。

さっそく凧を持って一生懸命走る。
走る走る!
声を合わせて、せーので手を離す。

すると凧は風を受けるも、直ぐに地面に叩きつけられてしまう。


何度やってもダメだった。良い風が来ても、大きい凧の骨組みが重くて上がっていく気配が無い。

他の班は風をうまく取り込みやすい形にしていたようで、宙に上がる班もちらちらいた。
皆すごいな〜!私らも頑張るか!と励まし合い、また走る。

走って走ってちょっと上がって直ぐに落ちる。
凧は風に乗らない。
凧に描かれた日本画の先生がほのかに笑っている。
その笑顔がなんだか申し訳なくなってきた。

この5週間、一生懸命骨組みを組み立てて、あーでもないこーでもないと言いながら、それでも衝突なくやってきた。

飛ばなきゃ凧じゃない!

走って走ってもう上に投げるくらいにあげる。
が、やっぱり直ぐに地面に落ちる。

結局てんでだめで授業が終わった。

帰り道、凧をみんなで持って帰る時、班の1人が泣いた。
情けなかったんだろう。
謎の凧を作って、批判的な目で見られ、結局凧は飛びもしない。
責任感の強い子だったので、積極的にチームを引っ張ってくれていた。


初めが肝心だ。どれほど頑張っても目的が定まってなければ良いものを作れないことを痛感した。
責任を持って制作を遂行する為の裏付けみたいなものがあれば、見せ方を考えれば評価に値する。
ここでいえば、良く飛ぶ凧であったり、ユーモラスな凧であったり、何か主題を伝えるための凧であったり。



今TAで見ている授業で、広い展示空間に砂を敷く班がある。
助手さんに内容を伝えたところ、
「砂を使っても良いけど、それを買うお金は?その後の処理は?ちゃんとそこを考えてんのかなぁ...」と不安気だった。

それをそのまま伝えると、
「自分は絵の具を作るサークルに所属してるので最終全部絵の具にします!」とのことだった。
60Lを7袋買う予定らしいが、果たしてその量を全部使えるのだろうか。


何を生み出すにも責任を持たなければならない。
グループワークは1人のアイデアを皆で負わなければならないから制作がし難いと思っていた、
それでも人数がいれば金銭的にも作業的にも規模の大きいことが出来る。それを2年生達はうまく活用していて尊敬している。

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