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私と知らない誰かが生きる世界のこと(下)

つづき

あわよくばその ″素敵″を自分も作れたらいいなぁとも思う
素敵な言葉も、景色も、音も、音楽も

私はその全てに心動かされて今を生きてる


昨日、奥能登国際芸術祭でいろんな作品を見て心が動いたから。最近、小屋が完成したから。

このタイミングだから、そう思ったのかもしれない。

仕事だけじゃなくて、普段の生活の中でやってることのすべての意味も考えてみてた。

小屋を建てた意味。
はじめは自分の趣味のため。落ち着ける場所ができたらいいな、そんな軽いもの。
でも改めて考えてみた。
この小屋を大切な場所にしたい。
何かに迷ったとき、困ったとき、ここにくればなんとかなるような、そんな場所に。
とりあえず一旦は私の大切なものを集めてみる。
あとは素敵な写真とか、絵とか飾りたい。

写真を撮ってることの意味。
忘れちゃう記憶もあるから、綺麗だったものを遺しておきたいってこともある。SNSに載せたい訳じゃない。映えとかそんなものはどうでもいい。載せてるのは見せるためじゃなくて、自分が忘れないようにするため。本当に大切なことは記憶の中に閉じ込める、が基本だけれど。

そう考えてみたときに、綺麗な写真は誰のために遺しているのか不思議に思った。

私がいる場所の景色や空は美しくて、秋らしい雲が浮かんでいて、涼しくて澄んだ風が吹いている。時々怒号も聞こえるけれど、子どもたちの笑い声や、口笛の音、そんな美しいもので溢れている。

でもそうじゃない場所もある。戦争をしているあの国の上空には戦闘機が飛んで、爆風が吹き荒れているかもしれない。誰かの泣き叫ぶ声が聞こえているかもしれない。

今、見えている、この美しい空。
永遠に続くわけではない。
明日、何が起こるのかなんて私にはわからない。

この美しい空が無くなってほしくはない。
でも何が起こるかわからないのが、この世界。
だから今日も私は撮る。
私に見えている、この不安定で、そして美しい世界を撮る。

明日の誰かの為に。


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