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村とヨーガと

12月に入ると僕らの暮らす小さな谷の村は忙しくなる。

かなり独特の神事があるし、新しい年を迎えるための準備などもすべて村人の手作業で行われる。

全員の顔が一瞬で浮かぶ村の仲間たち。
人数が少ないこともあるけれどそれ以上に僕らは関わり方が深いから。

山奥にあるがゆえに“村で暮らしている”そんな感覚が強いのかもしれない。


こうして書くとプライバシーを大切にする現代人の僕らは「村文化、おそろしい、、、」と思う人もいると思うけれど、そこは僕らの村はうまくいっているような気がする。

理由はとってもシンプルで〝距離がある〟から。

家々の物理的な距離があるので、大きな音を出してもだれも気にしない。
現に、今お隣の友達の家が改装工事に入っているのだけれど夜中の2時くらいまで大工さんがトントンカチカチ頑張っている。
爆音の音楽をかけてるらしいけれどまったく聞こえないし何も気にならない◎大工さんいわく「トランスパーティーくらいの音量」らしいけれど♪


それにみんな自分の家の周りに田畑や山をもっていることもあってその中で活動はいくらでもできる。
むしろ遠くで働いている仲間をみると、よしっ自分も頑張ろうとやる気がでてきたりもする。


と、これはメリット。
物事には必ず反対も存在する。

デメリットは、距離があるということは自分で管理しなくてはいけない土地が膨大にあるということ。
道にはみ出る草木を処理しなくてはいけないし、村の昔からの暗黙のルールによって草刈りにかなりの時間をとられる。

これが人によっては最も大変なことでもある。
時間的な制約もあるけれどなにより身体的なストレスが大きい。

幸い僕はこうしてヨーガを長く続けてきたこともあって、身体の問題は全く抱えていないし、時間の制約からくるストレスもうまく折り合えている。


ただ、これからどんどん村は苦しくなってくる。

都会では考えられないけれど、最大の働き手は70、80代の人たちで本当に信じられないくらいの時間を割いて元気に村仕事をしてくれているから。


村の美しさを維持していくには数少ない僕たちの世代がいかに元気であるかがこれからの鍵なんです。

40、50代。合間の世代。
これまでどう生きてきたかももちろん重要だけれど、今どう取り組むかが生命線のように思います。


僕はこれまで身体的な10年間のヨーガ指導を経て、180度違う心的なヨーガ指導を7年間くらい行ってきました。

それは本来の王道であるヨーガの道で、ヨーガがこれからも一人一人の役に立っていくには欠かせない道でした。

人間の頭はとても単純で〝わからないこと〟を嫌います。

心はわからないから身体だけにヨーガを狭めていく。

でも、

実は、

心は明確なんです。

スピリチュアルな捉え方ではありません。
王道のヨーガでは心は具体的な機能として知り、コントロールすることを推奨します。

方法はもうあるんです。

ただ、古代からの智慧の結晶である文献を脳だけで訳すことができないんです。
そこには膨大な経験からくる体感を通した探求が必要なだけです。

僕にとってはなんとか間に合ったと感じています。

そして、今ならまだこの智慧を言語化でき、そのあいまいな言語をみなさんに共有できると考えています。


言葉だけの伝達ではなく、すべての人の共通言語である身体を入口にして。


僕はそのノウハウを【Sutra yoga】という形をつけて体系化してみました。

まだまだみなさんに直接お伝えする機会を多くつくれていはいないのですが、間もなくやってくる2023年の大切な役割にするつもりです。


村の役割も大きくなってきてはいますが、今日まで培ってきたこの体と集中する力に助けてもらって乗り切ろうと思います。

昔のようにたくさんの方に会いお伝えすることはもうできませんが、聞いていただける方に精一杯すべてを教えていければと思います。


こんなにも情報が躍る社会になってしまいましたが、必要な方のそばにこの文字がポトンと落ちていきます様に。。



では、今日は待ちに待ったもち米の脱穀作業です!
楽しんで励みます。

みなさんも良い一日を。


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