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〝わたし〟とヨーガの軌跡 《探求道編》 1️⃣

「いつ戻ってくるか僕にもわからない」


本当にそう思っていたのを覚えている。

もうここにはいられない。

ただただその衝動が僕の身体を勝手に連れて行ってしまった。


この時僕はヨーガインストラクターとしてのキャリアも十分にあり、自分のスタジオを運営していた。

今思えばスタジオがある時点で僕は戻ってこなくてはいけないしそれに他にもいろんな硬い縛りが当然いくつもあった。

それでも僕の精神は自由になることを純粋に求めていた。


バックパックにヨガマットを無理やり畳んで詰めた。

そのマットはなぜかヨガを始めた遠い昔に初めて買った黄色い擦り減ってペラペラになってしまっているマットだった。

飛行機のチケットは一枚だけ。インド行きではない。


降り立ったのは中国。北京。

なぜ中国に来たのか?

僕にはどうしても自分の五感で触れたい場所があった。

それは、チベット。

あえて書くと今は”チベット自治区”と呼ばれる中国の一部になってしまった国。

ここに行くのは簡単じゃない。

それは昔々、河口慧海が初めてチベットに辿り着いた時のような命をかけた大冒険じゃないしそこに続く人々が素性を偽りまるで忍びのように潜んで向かった旅でもない。

世界は変わってしまった。

今はもう”正式なルート”を通るよりない。僕は正式なルートの手配のために北京にきた。友人が北京に住んでいてその友人のパートナーは中国人で彼らに手配をお願いしていた。

チベットは雲の上にある。標高は富士山より高い。

そんな空の国へ中国は鉄道を敷いた。前代未聞の空へのびる線路を。

2000キロに渡る旅路。標高は5000メートルを超える場所を通っていく。この世の景色ではないような美しい場所を通るというそんなふれこみの鉄道。

この鉄道がチベット人の世界を変えてしまった。鉄道に乗ってやってきたモノは決して美しいモノではなかったから。

僕もその鉄道に乗り向かうことにした。

彼らにとって美しいモノになりたかった。


数日滞在した北京の終わりに鉄道の駅まで送ってくれた中国人の彼女は僕の決意を聞き幸運を祈ってくれた。

ただ「英語が話せないのに1人でどうするの?」とずっと心配してくれていた。

この時僕はほぼ英語が話せない。これまで何度も訪れていたインドや他の国でも通訳に頼って過ごしていたからこの時はまだこの旅の難しさがわかっていなかった。


ここから48時間の電車の旅がはじまる。

実は乗り込んだ時点ですでに不安があった。

僕はチベットに入るための許可証を受け取っていない。理由はわからないが正式な許可証の発行が遅れて間に合わなかったからだ。

たぶん現地に行けば大丈夫なはずと彼女は言いとても頼りない領収書のような紙切れを渡してくれていた。そして困ったらいつでも電話してねと電話番号も教えてくれていた。

ただ僕は彼らに伝えていなかったことがある。

それは使える電話を持っていないということ。

その当時の僕の電話はもちろんSIMフリーでもないし当時そんなものなかったような気がする。

もしかするとチベットに着いた途端に誰かに電話を借りなくては行けないかもしれない。英語が話せないのに!

そんな不安を持ちながら、自分の寝台列車の席にたどり着くと意外な心地良さにすぐに忘れて眠りについた。



《探求道編》

ずっと書くことを躊躇い続けたこの長い旅の話からはじめようと思います。

僕のヨーガとの歩みはここから急速に〝今の僕〟に繋がっていく。

一緒に記憶の中のこの不思議な旅にお付き合い頂けたらとても幸せです。


ではでは。またまた。

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