見出し画像

〝わたし〟とヨーガの軌跡 3️⃣

[ BE GOOD. DO GOOD. ]

まるで教会のように中心で左右二つにわけられた広い空間の一番前の壁にはこう書かれていた。

僕も前のインド人達に習い左の列の後ろに座り同じように目を閉じる。そうしているうちにマントラが聞こえてくる。マントラとは日本で言うお経のようなものだと思ってもらうと理解しやすい。

今からもう14年前くらいだろうか。

インド北部の町リシケシ。よくこの町はヨーガの聖地だと言われているがインド人曰くここはヒンドゥー教の聖地だがヨーガもたくさんのアシュラムや修行者が溢れているのは事実だ。

5回くらいは訪れているリシケシのおそらく最初の時のこと。

まだまだあまりにも多様なヨーガの顔をはっきりわかっていない当時の僕はこのリシケシでいろんな流派のアシュラムにお邪魔していた。

ここはシヴァナンダアシュラム。まだこのリシケシでみんなの考えるヨーガの形があった時の話。”みんなの考える形”とはアシュラムでまだアーサナ(身体の練習)を行なっていたと言うことでシヴァナンダヨーガではこの後この本拠地ではなくインド南部にその形は移っていく。詳しくはシヴァナンダヨーガの方に聞くと良いと思いますが。


では話を戻します。

[ BE GOOD. DO GOOD. ]とは直訳すれば[ ただ良くありなさい。ただ良くしなさい ]と言うことになります。

僕がヨーガに関わりだした前半はこの言葉がずっと僕にくっついてきていました。スーパーマーケットに行けば直し忘れている買い物かごを直し歩き、道を歩けばゴミを拾い歩き、困っている人を探し歩き、、、もういつからか〝良くありなさい!良くしなさい!!〟そんな風になっていました。

何年もそうしているうちにとても疲れていきました。

当然です。そりゃ疲れます。

でも、ある時から全く疲れなくなっていきました。いつの間にか忘れていた2文字の意味がわかったんです。

2文字。

それは、[ただ]。

〝ただ〟良くあり、〝ただ〟良くせよだったんです。

この2文字の理解は人によって異なるとは思いますが僕の理解ではただ良くできる状態とは〝ただ良くある状態〟だったんです。

つまりこんなに疲れていては良い状態なわけはありませんしそもそも状態とはあるがままのことですから良い状態を作ろう!!なんてしている時は良い状態ではないわけなんです。

そして肩の力を抜いてただただ良い状態になっていく自分を長い間眺めていくようになりました。

今裏山を眺めながら鳥達の歌声を聴き、この文字を書いている僕はようやく〝ただ良い状態〟にあるわけですから当時の僕は硬い思い込みの中でもがき苦しんでいたんだとはっきりわかります。苦しかったな〜って今久しぶりに当時の感覚が湧いてきました。



さて、

今日も長い長い16年間の記録の一瞬を無事に書き記せたわけですが明日からはそんな苦しみにもがいている時のことにも話がいくことを期待して書き終えます。

明日の自分、頑張って思い出して書いてね。


ではでは。またまた。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!