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で、何がしたいの?どうなりたいの?

自分が心の底からなりたい理想像は何か。
それが問われているのかもしれない。

今、そんな感覚です。


ずっと憧れの先輩の背中を追いかける人生でした。

中学3年生の時に、大会で見た先輩の走りがかっこよくて、自分もああなりたいと思ってその先輩のいる高校に進学を決めた。
勉強を頑張って入学した高校1年生の時、その先輩はキャプテンになっていた。
陸上部の先輩方はみんなかっこよかった。
競技成績も人格もすべて憧れだった。
尊敬する先輩方と練習できることが幸せだった。
自分のレベル以上の部だったから、正直、練習はついていくだけで必死だった。何回も倒れたし、怪我もしたし、身体は常に悲鳴をあげていた。
それでも楽しかった。
憧れの先輩たちの背中を間近で追いかけられることが嬉しかった。

大学生。ゼミの恩師と出会った。
気さくに接してくれる寛大さ。論文の丁寧な構成と言葉選びのセンスの良さ。文学批評にかけるすさまじい熱意。家族思いなパパとしての一面。英語ペラペラで難解な文章もさらっと読んでしまう技術。
この人みたいになりたいと思った。
語学力、語彙力、洞察力、論理的思考、家族ファーストな思考。
自分が欲しいものをすべて持っているような気がした。
先生のもとで4年間勉強した。
他大学へ大学院進学も考えたが、先生のもとで学びたいという気持ちがどんどん大きくなり、そのまま進学をした。
修士課程はほぼマンツーマンだった。
先生の教えを直で吸収できる環境が幸せだった。
憧れに近づけている感覚になれた。

就活時。私が一番尊敬する先輩に出会った。
高身長おしゃれイケメン。サウナに連れて行ってくれたり、困っていたら駆け付けてくれる面倒見の良さ。自分が決めたことをやり遂げる実直さ。間違っている時は間違っているとアドバイスをくれる誠実さ。
すべてがかっこよかった。
先輩みたいな人間になりたいなあと思っていた。
仕事も楽しんでいる姿も憧れだった。


ずっと間近に憧れがいました。
でも、今はいません。


これまでは自分が目指すべき姿が近くにいた(近くにいすぎたのかもしれない)
だからとにかくそれに近づく為に行動すればよかった。

今は理想を見失っています。
迷子。

憧れがあんなに近くにいた、これまでが異常だったのかもしれない。

で、あなたは何がしたいの?
そう問われている感覚です。

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