ギャツビーに挨拶されて、着いて行ったらやりたいこと見つかった。
大学で何を勉強しているの?と聞かれたら、アメリカ文学と答えます。
必ず微妙な反応をされます。(へえー。真顔)こんな感じ。
今年は、アメリカ文学で何を学んでいるのか。具体的な内容を語れるようになりたいです。研究分野がまだ定まっていないので、遠い道のりです。
なぜ文学にはまったかと言うと、英米文学・日本文学の講義を通して様々な作品と出会う中で、社会の動きや作者のメッセージを作品から読み取ることが新鮮かつ刺激的だったからです。
僕の感覚では、今ってビジネス書とか自己啓発本を読んでいる人が偉いみたいな風潮があると思っています。文学が持つ魅力は、あなたの想像以上ですよということを伝えたいです。
文学の中でなぜアメリカ文学なのかについては、またnoteを書けたらいいなと思います。
「ようこそアメリカ文学の世界へ」って言われた。
2年生から本格的に文学系の講義を履修していました。
その中で、たくさんの作品を読みました。(図書館にあるのに、いちいち買っていました...)
2年生の後期にとったアメリカ文学の講義で、僕はものすごい作品に出会ってしまいました。初めて夢中になって読みました。
それが
The Great Gatsby 『グレート・ギャツビー』
スコット・フィッツジェラルド作、村上春樹訳のものを読みました。
読んでいて心地よくなる文章で、テンポ良く物語が展開され、僕は完全に魅了されました。
『グレート・ギャツビー』はアメリカンドリームの崩壊を描いた作品として批評されることが多いです。
出版は1925年で、1929年の世界恐慌で実際に不景気に陥ってしまったので、未来を予測していることになります。
そんなことできるのか!!!!!
「雷に打たれる」とはこのことかと実感しました。
その瞬間、「ようこそアメリカ文学の世界へ」と言われたような気がしました。
院進を決意するほど文学の世界にのめり込んだので、ギャツビーの持つ力は強大でした。おかげさまで、やりたいことも見つかったわけですし、本当に感謝です。ありがとうございます。
あなたたちはGreatですか?
初めてこの作品を読んだ時、その豪華さ・美しさ・ギャツビーへの同情にとても心惹かれるものがありました。
特に、ギャツビーが対岸の緑色の光へ手を伸ばすシーンは、彼のデイジーへの強い愛情やもう少しで望みに手が届くことへの希望を感じます。尊さですね。
本当にGreatな作品だったと思っていたのですが、何回か読むにつれてその考えは変わってきました。
タイトルのGreatって一体何がGreatなのか?
という疑問が生まれました。その観点で考えるとGreatと言える人物はいるのでしょうか。
そもそもGreatという単語自体を様々な意味で解釈できます。量、程度、感情、身分などを表します。
レオナルド・ディカプリオがギャツビーを演じた『華麗なるギャツビー』という映画がありますが、「華麗なる」という表現は原作が持つギャツビーの雰囲気からズレてしまっています。煌びやかな面が強調されるのはちょっと違うかなと。僕はそう思います。
ギャツビーの愛は続いているのか。
この問いが最近気になっています。
ギャツビーはデイジーからの電話を待っていたはずなのに、ニックが電話をするとデトロイトからの長距離電話の為に回線を空けていると書かれていました。
パーティーの最中やデイジーと過ごす時間でさえも、仕事の電話に出るギャツビーの姿を見ると、ギャングとしての自分を貫いていたとも考えられます。
他人の値踏みによって自身の価値を決める様子からは、デイジーからの愛の言葉とトムとの時間の否定を得られることさえも、自尊心の為だったのではないかと感じます。
貧しいことが負い目だったギャツビーにとって、彼の行動は、全て自分が自信を持つためだったように思えます。
今のところそんな感じです。たぶんまた読んで変わるかもしれませんね。
いつも謎。
上記はスコット・フィッツジェラルド, 村上春樹訳『グレート・ギャツビー』中央公論新社, 2006 からの引用です。
作品の冒頭なのですが、この教訓はどのような意味を持っているのかがいまいち分からずにいます。
上から目線の発言のようでもあるし、ためになる教えのようでもあります。
この謎を解き明かしたいので、また時間をおいて読んでみます。
取り留めのない文章になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
この調子でnote執筆に取り組んでみます。
いつも読んでくださりありがとうございます!