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映画「ボーはおそれている」を観て、私も社会をおそれていると気づいた

私は職場のエレベーターに乗る時に、知っている人と一緒になりたくない。だから、ビルに近づく時に知っている人を見かけると距離感に注意する。どうしても避けたいというような事柄ではない。気を使って会話するのが面倒なのだ。相手に気を使わせるのも嫌だし、無口で無愛想だと思われるのも癪だ。

帰宅する時に全力で走って人を撒くボーの姿は、私に少し似ていると思った。

ボーの自宅界隈の治安の悪さは印象的だ。路上には干からびた死体(死んでいるかは分からないが)。目まで刺青を入れた全身刺青男。周りを気にせずに一人で踊る男。取っ組み合いをして相手の目を潰そうとする男がこちらを見てニヤリ。

ネット上で見つけた考察のひとつに「ボーは薬を飲んでいるから、あの景色は現実そのままではなく、ボーの目に見えている世の中なんだ」というものがあった。なるほどと思った。その時に私にも社会がおそろしく見えていることに気がついた。

私が今の職場で働き始めた時「変な人ばかりだな」と思った。私は人との関わり合いを避けていたし、職場の人を深く知ろうともしなかった。私としては至極当然にそう振る舞っていた。過去の職場の経験上、職場の人とは近づきすぎないのが都合が良いと腑に落ちていたし、一度距離を詰められてしまった後に遠ざける難しさも知っていた。

昔からそういう人間だった訳ではない。仕事が終われば職場の人と飲みに行き、休日は職場のグループでイベント、連休には先輩と旅行…と職場が生活の全てを担っている日々を過ごしたこともある。楽しかったし(便利だったけれど)ずっとは続けられない。こちらが嫌になっても相手は許してくれないし、職場では嫌になった後も、顔を合わして付き合っていかなければならない。

だからスカしていた訳ではない。職場の人にランチに誘われても、毎回誘われたら面倒だと思って断ったりもした。私はおそれているのだ。人間を、職場を、社会を。私は今でも職場の人は変な人ばかりだと思っているし、皆余裕がなくて、子供染みた(まだ子供の方が可愛い)言動をする気色の悪い連中だと思っている。

私は庇護されたいと強く思っている。守ってくれる存在が欲しいと思う。仕事が終わって家に帰って布団に包まれて外界と遮断されて、やっとホッとできる。世の中は汚くて気色悪いから。私は年をとっても、大人になりきれていない。

一番私に刺さったのはボーが言った「私は臆病だった。全人生において」という台詞だ。ホワイト社会を目指した、ホワイトな世の中では人に無理は強要できない。だからボーのように(私のように)脆弱な人間はすぐに甘えてしまう。臆病だから人との関わりは避けるし、責任も負いたくはない。私は人のことを気色が悪いと言っているが、自分が拒絶されるのが怖いだけなのだと思う。私はおそれているのだ。

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