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バイト前のマックで、「好き」について考える。

先日、午後からのバイトに備えて、マクドナルドで昼食を取っていた。

席について、運んできてもらったトレーを見たら、
「好きって言われるとうれしいのに、どうして好きって言うのはむずかしいんだろう?」
の文字。

みなさんお馴染みのトレーに敷いてある紙。そこに印字されていたのは「答えのない問い」について考える、ある団体とのコラボ問題だった。

なんて哲学的なんだろう。
問いかけの内容に少々驚きながら、ハンバーガー片手に考えてみた。
問いを囲むように、様々な年代から寄せられた回答が描かれている。

恥ずかしいから、人によって「好き」の量は違うから、「好き」の重みが違うから……。
すべて平仮名で書いた回答があれば、禅問答のような回答もあり、それぞれがそれぞれの言葉で、「好き」についての考えを語っていた。

「自分の言う『好き』と同じ種類の『好き』が返ってくるとは限らないから」
これが私の思う回答だ。

例えば、
「好きです。付き合ってください!」と
「あんた最高!好きだわ~(笑)」と
「今日も推しがかっこいい…。好き…。」
では、「好き」の指すところが違うと思う。

告白の「好き」なら、緊張とか切羽詰まった空気が含まれているだろうし、
家族や友人に向ける「好き」は、「愛」の意味合いが強い。
推しへの「好き」は一方的であり、「ファンのみんな」という不特定多数に向けての返事はあり得るかもしれないが、一個人へ反応が返ってくる可能性はまずない。

これを私は「種類」という言葉で表したわけだが、人によっては「量」「重さ」と、表現が変わってくる、のだと思う。

そして、こちらが「好き」と言うときは、相手にも同じ種類の「好き」を期待する。
でも、もし違ったら…?
自分の言う「好き」と相手の言う「好き」が一致していなかったら…?
これが怖いので、「好き」を口にすることをためらってしまうのではないか。

と、ハンバーガーを食べ、ホットコーヒーを飲み干すまで、「好き」について思考を続けていた。
バイト前の1時間が、思いがけず哲学的になったわけだ。
なかなか立ち止まって考えたことのないようなお題だったが、答えが存在しないからこそ面白く、有意義な時間を過ごせて満ち足りた気分になった。

ところで、その店内には男子高校生の集団(6~7名ほど)もいた。
食べ終わってぞろぞろと退店していく中で、最後に残った2人がテーブルの下を覗いている。
「なにか落としたのかな」と何気なく見ていたら、全員の忘れ物がないか確認し、落としたゴミを拾ってから店を出ていったのだ。

ふと見えたマナーの良さに、「好き~!!」と悶えたのは言うまでもない。

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