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看板おじいちゃんの話

私が高校生だったときのこと。

高校の最寄り駅の近くに、ちょっと小さめのショッピングモールが建っている。その1階に、カフェがあった。

個人店で小ぢんまりしていたが、メニューがたくさんあって、どれも美味しい。いつでも誰かしらお客さんが入っていて、根強い人気があるとわかる。
そして、そこのカフェには「看板おじいちゃん」がいた。

70代くらいになっていたのだろうか。
もう髪の毛は真っ白で、少しだけ腰が曲がっていて、でも、白い制服と黒のギャルソンエプロンをきっちりつけていて。いつもお店の前に立って、元気な声で呼び込みをしていた。
「いかがですか~美味しいですよ~」
ニコニコしていて、感じのいい人だなと思っていたけれど、そのお店を通るときは大抵、友達との買い物の途中だったために、中に入って食事をすることはなかった。

そんなわけで、おじいちゃんを一方的に認知してはいるものの、声をかけられたことはないという状態がしばらく続いていたが、遂におじいちゃんの呼び込みを受けるときがやってきたのである。

その日は用事があって、母と共にショッピングモールを訪れていた。
お店の前にさしかかったとき、いつものようにおじいちゃんの声が聞こえてきた。
言葉の細かなニュアンスまでは、もう覚えていないけれど、
「どれも美味しいですよ、お昼にいかがですか」
たしかそんな言葉をかけられたように思う。

ちょうどお昼時だったし、美味しそうなメニューの写真に惹かれて、そのまま母と一緒にお店に入った。
ハンバーグ、カレー、スパゲティ、サンドイッチ、ケーキ、パフェ…。
「喫茶店」と呼ばれるお店にありそうなメニューが一通り揃っていて、その品数に驚いた。

私はクリームのスープスパゲティを頼んだような気ががするが、味もとても美味しかった。食後におじいちゃん自らコーヒーを運んできてくれた。
おじいちゃん初め、お店の方々の人柄と、確かな味に魅力を感じ、それから度々ランチに行ったり、お茶に行ったりするようになった。

時は流れ、私は大学生となった。
都内の大学に通うようになったため、高校の最寄り駅付近を訪れる機会がない。
あのお店どうなったかな、なんて思いつつ。いや、毎日を生きるのに精いっぱいで、いつしかお店のことが頭から抜けていたのかもしれない。
気づけば、3年の月日が流れていた。

ところが、久しぶりに、本当に久しぶりに、お店を訪れる機会が巡ってきたのである。
その日は、朝から母と出かけていて、お昼を食べた後、高校の最寄り駅付近で友達と会う約束をしていた。
母も私も荷物が多く、おまけに雨が降っていたので、仕事が休みの父に車で迎えに来てもらうことになった。
お腹も空いていたし、自然と外でお店を探す話になった。
誰が言い出したのだろう、「久しぶりにあそこのお店行ってみない?」。
その一言で、私たちは懐かしのあのお店の存在を思い出した。

車を停めて、そこへ足を向けてみれば、3年前から変わらない店内、変わらないメニュー。
私はハンバーグを注文した。
途中、ハンバーグを食べるのはこれが初めてだ、ということに気がついたけれど、やっぱり美味しかった。

でも、一つ変わったことがある。おじいちゃんがいないのだ。
母も父も、同じことを考えていたようで、3人できょろきょろしてみたけれど、お店の前にも、厨房にも、おじいちゃんらしき人物は見当たらなかった。

コーヒーを飲んで、お店を出るときに、父が厨房にいたオーナーらしき男性に声をかけた。
「いつもお店の前に立たれていた方いらっしゃいましたよね?」
すると、その男性は
「ああ、うちの父ね、亡くなったんです。2年前に」
と困ったような、寂しいような、なんとも言い難い表情でほほ笑んだ。

亡くなったんだ…。
なんだかショックを受けていた。
考えてみれば、おじいちゃんの名前も知らないし、こっちは看板おじいちゃんとして認識しているけれど、あちらにしてみれば、数多いる客の中の1人だし、赤の他人と言ってしまえばそうなのだろう。
でも、なぜだか、「赤の他人」の中に、おじいちゃんを入れることができなかった。
このショックは、おじいちゃんの元気な呼び込みに、知らず知らずのうちに励まされてきたからなのか。
それとも、毎日に追われて、いつしかお店に行かなくなってしまったことへの後悔か。

2年も前から、私の知らないうちに、あの元気な声が響くことがなかったのかと考えたら、胸が少し痛んだ。

また、あのお店に行こう。
頻繁には行けないかもしれないけれど、またあの味が懐かしくなった頃に行こう。
あのお店には、ずっと続いていてほしい。

そう思いながら、友達との待ち合わせ場所に向かった。

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